2010年9月15日水曜日

ピーコ・デッラ・ミランドラとポリツィアーノ(2)



                マルシリオ・フィチーノ

     ポリツィアーノとピーコが通ったカレッジのプラトン・アカデミー。

フィレンツェの郊外、カレッジのメディチ家別荘に集うAccademia Platonica(プラトン・アカデミー1460-70年頃)と名づけられたヒューマニストたちのサークルの中心的人物は、人文主義者マルシリオ・フィチーノと若いジョヴァンニ・ピーコだった。1453年のビザンチン帝国崩壊後、亡命者たちによってギリシャ哲学の原書がイタリアに大量にもたらされ、それらのコレクションとイタリア語への翻訳熱(それまではアラビア語からの翻訳が主流)が高まった。フィチーノはコジモ・デ・メディチの依頼を受け、カレッジのヴィラにこもってひたすらギリシャ古典の翻訳に携わり、1462年から68年のあいだにプラトンの全作品を翻訳した。この文化サークルに影響を受けた芸術家には、サンドロ・ボッティチェッリ、アントニオとピエーロ・デル・ポッライオーロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ペルジーノ、ルーカ・シニョレッリなどがいる。

ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラとポリツィアーノの死因



ルネッサンスの申し子、Giovanni Pico della Mirandolaジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494、人文主義者)と彼の友人で詩人のPolizianoポリツィアーノの死が毒殺(大量の砒素の投与)によるものだということが、サン・マルコ修道院の回廊に埋葬された二人の遺体の発掘調査によって明らかになった。殺人犯はロレンツォの息子で、陰険な性格だったピエーロ・デ・メディチかもしれないという憶説もある。
アラビア語、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語などに精通し、カバラ(ユダヤ教神秘主義思想、ヘブライ文字の数秘術)研究に熱中し、自然科学にも素養があり、超人的な暗記力をもっていた(ダンテの神曲を暗記し、逆さに暗誦することもできた)貴族出身の美青年ピーコ・デッラ・ミランドラは、その代表作でルネッサンスのマニフェストともいえる『De hominis dignitate人間の尊厳』を世に出し、ルネッサンスの知恵の一頂点に達した。90の命題からなる「人間の尊厳」では、人間の素晴らしさが高らかに歌われている。「人間よりも素晴らしい存在は見出せない」「人間とは偉大な奇跡」「生きとし生けるもののなかでもっとも幸せでもっとも称賛されるべき存在」と語るピーコにとって、人間こそはその豊かで自由な可能性を駆使し、神に近づくことができる宿命をもった存在であった。