2012年10月10日水曜日

"Il Bambino invisibile" (消えた子供)

マヌエル・アントニオ・ブラゴンツィ "Il Bambino invisibile" (消えた子供)の著者。 チリのサンタ・エレーナ村で生まれたマヌエルは、5才のとき、祖父が母を殺すのを見て家出をし、森林に逃げた。8才までの3年間、小さな子供はたった一人で森林で暮らし、森が彼の母代わりをしてくれた。草木、動物たち、星空…。高い木によじ登り、じっとしていて近づいて来る小鳥を捕まえ、川では魚も手ですくって捕った。夜になると寝るのは木の下。しかし8才のとき重い病気になり、保護され、孤児院につれて行かれた。そこへ訪ねてきたイタリア人のブラゴンツィさん夫婦が養子として彼を迎え入れ、イタリアに連れて行った。やっと愛に出会ったマヌエルはひと時も両親からはなれず、車の中でも母の首に抱きついていた。ひとつ他の子とちがったのは、ちょっと外に出て行ったと思ったら「ほら捕まえたよ。あとで食べようね」と言って、捕って来たばかりの小鳥を差し出したりしたことだった。マヌエルはいまは30代で3人の子の父となっている。妻は「他の人と変わらないけれど、ひとの苦しみを理解できるやさしさが特徴」と言う。

2012年6月4日月曜日

Strage di Capaci (カパーチの虐殺)から20年

2012年5月23日、「カパーチの虐殺(ファルコーネ判事暗殺事件)」は20周年を迎えた。判事の護衛長で、もっとも強い爆破を受けた1台目の車に乗っていた警察官アントニオ・モンティナーロ(享年30才)は、生前のインタビューでこう語っていた。「いつも口にしていることですが、わたしのような仕事に付いている者はだれでも恐れと卑怯のどちらかを選べる状況にあると思います。恐れは人間であればだれでもが持つ感情です。恐れる者は、夢を見、愛し、涙を流します。人間らしい感情です。卑怯は理解できません…。人間性の範疇ではないと思います。わたしはすべての人間と同じように恐れを抱いています。でも卑怯ではありたくないです」。アントニオたち護衛はみな志願者で、危険手当も受けていなかった。

アクロバティック国際飛行ショー

ローマに近いオスティア海岸で、被災者への連帯を示すアクロバティック国際飛行ショーが催され、100万人の観客が空を見上げるなか、各国の空軍チームが素晴らしい技を披露。最後に、世界最高と評判の高いイタリアの「Frecce Tricolori 三色の矢」チームがその神技で人々を感動させた。メンバーのコメント:「これは震災にあった人々を抱擁するイタリア全国民を象徴しています」

第7回世界ファミリー・デイ

http://www.tg1.rai.it/dl/tg1/2010/edizioni/ContentSet-9b6e0cba-4bef-4aef-8cf0-9f7f665b7dfb-tg1.html
6月2日、ミラノで開催された第7回世界ファミリー・デー。教皇ベネディクト16世を囲んで世界153か国から数多くの家族が集った。教皇は夫婦の絆の聖性について語り、また別居・離婚者にも「私はあなた方の傍らに居ます。教会は苦難のなかにある皆さんを迎え入れます」、「世界は功利主義に支配されていますが、家族は、無償に与える愛が基盤となっています」と述べた。集会を終えた人々のコメント: ― 家族の貴さを自覚しました。 ― いつも前向きであること、人生に信頼を失わないことが大切だと思いました。 ― 私にとって家族は、幸福を体験できた場所です。 ― 同じ理想を持つことで絆は深化します。この理想を再確認してくださった教皇のことばに勇気づけられました。
夜が明ける前に起きてバスに乗り、集会場まで数キロの道のりを徒歩でやってきた、元気いっぱいの大勢の子供たちもいた。次回、第8回世界ファミリー・デーは2015年にフィラデルフィアで開催される。

2012年6月1日金曜日

イタリア北部を襲った地震 (3)

5月31日のTG1(テレビニュース)から http://www.tg1.rai.it/dl/tg1/2010/edizioni/ContentSet-9b6e0cba-4bef-4aef-8cf0-9f7f665b7dfb-tg1.html
Cento(チェント)の街。倒壊した、街で一番古い教会の前に立って男性は語る。「今必要なのは勇気だけさ。恐れに身を任せてはいけない、絶対に。泣いている場合じゃないよ。でも凄いねえ粉々になった教会を見つめながら)…」。 ロザリオ教会ではグエルチーノの絵画を運び出し、市立絵画館(Pinacoteca Civica)に避難させた。 ルネッサンスの天才哲学者ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラの出生地ミランドラでは、聖フランチェスコ教会が倒壊。人がいなくなった中心街は静まりかえっている。 サン・フェリーチェ・スル・パナーロでは、テントで寝泊まりをしながら、まだ余震が続くなか店に来てパンを焼いている女性のパン屋さんがいる。「負けるものですか!」。アナウンサーのコメント:「日本と同じように、わたしたちも生活を変えなければなりません。これからは地震と共存して生きていかなければなりません」。 環境大臣の発言:「官民投資による400億ユーロ(4兆円)の資金で15年間かけて震災地域を再建します。その予算には震災予防計画費も含まれ、今まで危険地域地図に載っていなかった地域も対象になります」。 イタリア銀行総裁:「イタリア経済の健全化は、2013年に予定されている赤字財政からの脱出によって達成されるが、構造改革はいまだ進んでいない。まず歳出の削減を目指すとともに脱税を摘発して歳入を増やし、増税ではなく、むしろ減税を実施すべきだ」

イタリアの地震 政府の決定

5月30日、内閣は被災地域の復興に向けた緊急資金対策を発表。
― 公費削減による節約分を復興支援に利用。
― ガソリン消費税を+2% 。復興資金に充てる。
― 被災地の市町村に対しては、財政赤字の上限等を定めた国内「安定協定」の停止。
― 被災地域における徴税を9月まで延長 。
― 住宅ローンの延長
モンティ首相は6月4日を国喪に定め、だれ一人として孤立させないと約束した。

2012年5月30日水曜日

北イタリアで地震発生

5月29日9時と13時に、マグニチュード5,8~5,9の地震がエミリアーロマーニャ地方を襲った。震源地はモデナ県。前回20日の地震以来、約800の余震が起きていたが、地震学者たちによると、今回の地震は20日に動いた断層とは別の活断層が移動したことによるもので、複数の活断層が関与している可能性もあるという。過去5世紀間、この地域では被害をもたらすほどの地震は発生していなかった。しかしこの地域から北に広がるパダーナ平野の地下では、アフリカ・プレートが年間5㎜づつ常にヨーロッパ・プレートを北北東の方向に押し上げている。イタリア半島を縦走するアペニン山脈も数千万年前その地殻変動によって形成された。
今回の地震ではイタリア中北部全体が揺れたが、特に被害が大きかったのは、フェッラーラ(Bondeno, Rovereto他)、モデナ(Finale Emilia, Medolla, Mirandola, Cavezzo, San Felice sul Panaro他)、マントヴァ(Felonica他)の3県。倒壊した2つの工場では多数の死者が出て、その耐震性が問題になっている。また、マントヴァのPalazzo Ducaleを含む多くの歴史的建造物も崩壊の危険にさらされている。

2012年5月8日火曜日

芸術を通しての、再生の道 (ナポリ)

ヴェロニカ・モンタニーノ、23才。ナポリのオッタヴィアーノ地区で活動する俳優、バレエ・ダンサー。18才のとき、守衛の仕事をしていた父が強盗に殺害されたが、ヴェロニカは事件が起きたこの地区に留まることを決意する。「私は真相を知りたい。正義が行なわれることを渇望しています。ここに残って、犯罪の犠牲になった多くの人々の家族の一人でありたい」。「ナポリが大好きで、その潜在力に賭けています。ナポリの演劇が私の最大のパッション。ほかの場所には行きたくありません。正直でクリーンなナポリ人魂を誇りに思っています」。 オッタヴィアーノにはAccademia Vesuviana del Teatro ad Ottaviano (オタヴィアーノ・ヴェスヴィオ演劇アカデミー)という「明日を夢見る」学校がある。 「オッタヴィアーノ地区は、私から父を奪いましたが、私はここで人生の再生を目指す覚悟です。芸術に精進し、人々の希望につながる何かを残したい。父の死のあとは私も希望を失っていましたが、ここに残ることで、悲しい出来事への抵抗とそれを乗り越える変革の担い手になりたいです」。 ヴェロニカは近くのNisi(ニージ)少年院にも演劇を教えに行っている。そこには父を襲ったグループのメンバーがいるかもしれないことを知りつつ。「先日一人の少年が言いました。“演劇がこんなに人を感動させるものだとは知らなかったよ。強盗のときよりももっとドキドキする!”」

2012年5月7日月曜日

鉄格子の向こう側で、おとぎ話が生まれる

バーリの刑務所では、更生中の服役者たちが子供向けの絵本や漫画を製作している。自分の身に実際に起きた出来事を語り、絵を付け、それを読む子供たちに「間違いを犯さないよう」諭している。「お父さんトラは、むかし、とても残酷な若トラだった…。そしてある日……」。
まるで時が止まったかのように感じられる毎日。おとぎ話を書くなかで過去を振り返り、家族や子供たちとの再会を夢見る。

アフリカの土地を外資が買収

アフリカや中南米で外国資本による土地の大型買収が進められ、砂漠化やさらなる貧困を招いている。買い占めているのは中国、アラブ諸国、ブラジルなど。アフリカでは生産量の少ない自然農業が主流だが、土地買収者は大量に肥料を使う大規模農業を営む。すべて農作物は自国へ運んでしまうため、地元アフリカには貧困、自然破壊、搾取の跡だけが残る。

2012年5月2日水曜日

スキーのワールドカップ。Masterクラスで88才のイタリア人が優勝

88才のアルベルト・ペレッティさんがスキーのワールドカップMasterクラスで7度目の優勝を果たし、「クリスタル杯」を獲得した。歳をとってから始めたスキー競技で勝利に勝利を重ね、家にはもうカップを置く場所がないほどだが、これまで楽な人生を過ごしてきたわけではなかった。「わたしが生まれたのは第一次世界大戦が終わってから6年目。15才のときには第二次世界大戦が始まり、18才で兵隊にとられました。その後捕虜となり、戦争が終わって帰国したときは村中の人から歓迎されると思っていましたが、冷たい目で見られました。勲章や賞状を貰ったのは除隊してから38年目のことです」。「人生で大事なのは負けることを知ること。若い人たちに言いたいです。負けることを学んでください。それは人生で本質的なことです」。「滑るのが面白くなくなったらすぐに止めます。今は面白くて仕方ありません」。「7回目の優勝が最後にならないといいのですが」。健康の秘訣は「何でも喜んで食べること。そして全然じっとしていません。(大工仕事など)好きなことをして一日を過ごしています」。

ピアノーザ孤島刑務所

http://www.tg2.rai.it/dl/tg2/RUBRICHE/PublishingBlock-c252381e-7709-42df-83b6-673c53515e51.html
ピアノーザ島には、マフィアの危険人物を収容する「厳重警備刑務所」が置かれていた。15年前に刑務所は閉鎖されたが、この島を訪れる観光客も増え、現在サン・ジャコモ協同組合が一軒のホテルを経営している。そこで働いているのは、模範囚、半自由囚、更生保護下にある者たち。
ピアノーザ島の道はすべてマフィアの犠牲者たちに捧げられている。ジョヴァンニ・ファルコーネ判事と親友パオロ・ボルセッリーノ判事にちなんで命名された小道の近くでは、犯罪を犯したが、今は更生して人生の再生を目指す若者たちが働いている。

シエナで「日本文化の風景」展

http://www.sienafree.it/siena/142-siena/33563-il-giappone-ringrazia-siena-per-la-sensibilita-dimostrata-in-occasione-dello-tsunami  シエナのサンタ・マリア・デッラ・スカラ美術館では、シエナ市とネヴァーランド協会の主催で、2012年4月13日から7月10日まで「日本文化の風景」展が開催されている。オープンングには日本公使も出席し、シエナを含むイタリアの各地から、昨年大災害に見舞われた日本の人々に、温かい同情の念が寄せられていることを感謝した。岩手日報の協力により、大地震や津波による凄まじい被害の写真も展示されている。 14・15日には、日本人ジャーナリストや福島原発のイタリア人リポーター、ピオ・デミリアなどが参加し、市民との会合も開かれた。日本の地震・原発事故の悲惨さを目の当りにした後の世界における「エネルギーとその持続可能性」をテーマとする分科会も、シエナ県政府と市環境局の共催で催された。詳しいプログラムは下記のサイトで。 http://www.santamariadellascala.com/w2d3/v3/view/sms2/news/primopiano--64/index.html

2012年4月12日木曜日

ソーラー大国になる!

イタリアでは太陽光発電産業に大きな期待がかけられています。
「ローマはソーラー発電の世界首都になる」と市長のジャンニ・アレマンノは意気込んでいます。街には、ソーラーパネル屋根の駐車場ができ、取り付けられたソケットから電気自動車が充電できるシステムが稼働し始めました。

コッラード・クリーニ環境大臣は次のように語っています。
「再生エネルギー産業は、環境だけでなく、雇用と経済成長の面からも重要性が高まっており、今後、イタリアのみならず、世界中の成長産業になるでしょう。地球環境基金から融資を受けようと、申請が殺到しています
「電力会社は再生可能エネルギーへの投資で電気代が上がると言っていますが、それは事実ではありません。請求書にはっきりと支出項目を明記しておくよう要請しました。イタリア人は電気代を支払うとき、何に支払っているのか、知る権利があります」

*地球環境基金(イタリアではKYOTO基金と呼ばれている)が提供する低利率の資金は、太陽光発電など温室効果ガスの排出量を削減するプロジェクトに融資される。

2012年3月8日木曜日

2012年 Car of the Year (ジュネーブ)

3月5日、第82回ジュネーブ・モーターショーの開催(3月6日)に先駆け、23か国から参加した59人のモータージャーナリストによって、「カーオブザイヤー2012」が選出された。330点で栄冠に輝いたのは、GMのプラグインハイブリッド車Chevrolet Volt(シボレー『ボルト』)とOpel Ampera(オペル『アンペラ』)。
ファイナリストは以下の通り。
第2位:Volkswagen Up!(フォルクスワーゲンup!)= 281点
第3位:Ford Focus(フォード・フォーカス)= 256点
第4位:Range Rover Evoque(ランドローバー・レンジローバー・イヴォーク)= 186点
第5位:Fiat Panda(フィアット・パンダ)= 156点
第6位:Citroen DS5(シトロエンDS5)= 144点
第7位:Toyota Yaris(トヨタ・ヤリス/日本名:ヴィッツ)= 122点

昨年のCar of the Yearは100%電気自動車の日産Leaf(リーフ)。今年もまたハイブリッド車が選ばれ、エコカーに寄せる期待の大きさがうかがわれる。
オペルはこれで4回目の受賞。過去の受賞歴は、フィアット(9回)、ルノー(6回)、フォード(5回)。シボレーは今回が初めて。

2012年3月2日金曜日

ルーチョ・ダッラ死す

Morte improvvisa di Lucio Dalla in Svizzera, dopo il concerto di tre ore

スイスでの3時間にわたるコンサートの翌日、3月1日(69歳の誕生日3日前)に歌手Lucio Dallaは心臓発作で亡くなった。スイスの後、パリのオリンピア劇場でのコンサートなど、ヨーロッパツァーを控えていた。どの劇場でも切符はすでに完売だったとのこと。

http://www.youtube.com/watch?v=dvY4nn-zxb0&feature=related
「4 marzo 1943(1943年3月4日)」
彼がシンガー・ソングライター(cantautore)として多くの人々に感動を与えたのは、忘れることのできないこの曲だった。
"港町によそ者がやって来た。彼は少女と恋に落ちた。男は彼女を知ってからすぐに殺害された……。そして、16歳で母になった少女が我が子につけた名は「ジェズー・バンビーノ(幼な子イエス)」。その後しばらくして彼女も短い人生を閉じた。
いまではポーカーをしたりワインを飲むようになったのに、港の人たちはまだ僕のことをジェズー・バンビーノと呼ぶ"

日本でもよく知られているのは「カルーゾ」。
http://www.youtube.com/watch?v=6L3DTsLEGl8&feature=fvst

Una terrazza vicino al golfo di Sorrento...
Due occhi che ti guardano così vicini e veri.
"ソレント湾をのぞむテラス
 二つの瞳がこんなに近く、こんなに真実の眼差しでぼくを見つめる"

Si sentì felice.
Gli sembra dolce anche la morte...
Ti voglio bene assai, ma tanto tanto bene assai.
"しあわせを感じた
 死さえ甘美なように思えた
 君を愛している……"

(1921年、カルーゾは最後の日々をナポリのホテルExcelsior Vittoriaで過ごした。48歳だった)

「ぼくは人を和ますカンツォーネは書けない」と言っていたルーチョ。死と隣り合わせの歌、死の香りのする歌を作詞作曲した。「死は第1幕の終わりにすぎない」と話していたルーチョはこんなに足早に逝ってしまった。

2012年2月23日木曜日

国際農業開発基金(IFAD)

2012年2月22日、モンティ首相はローマに本部を置くIFADの第35回会議で167ヶ国(大多数は貧しい国)の代表を前に次のように発言した。

飢餓に苦しむ世界は、正義が行なわれていない世界。イタリアは飢餓との戦いや持続可能な食糧生産/流通システムに関する全世界の共同責任を忘れないよう、常に強く訴えていく。
健康で安定した食事をする権利はすべての人にある。
女性の力が大きな役割を果たす農業経営に向けて、男女平等の精神を一層高めるべきだ。国連総長も女性が男性と同じように農業に参加することで世界の農業生産は20%伸びるとしており、貧困を撲滅する最もよい手段の一つとなるだろう。
食品の安全性の確保も国際社会にとって最優先課題であり、こうしたIFADの政策を支えるためにイタリアはこれまでより10%増の負担を約束する。
増え続ける世界の人口。今、そのすべての人々を養うことが求められている。

2012年2月17日金曜日

クラウディオ・ヴィッラ(Cluadio Villa)

25年前(1987年)の今日、ちょうどサンレモ音楽祭が開催されていたときに、Reuccio(レウッチョ=下町の王様)と呼ばれていた歌手クラウディオ・ヴィッラが長い闘病生活の後亡くなった。

auto blu 公用車

緊縮財政策の一環として公用車の削減が実施された。
対2009年比で経費3億ユーロ(20%)の節減が見込まれている。
また、透明化を図るために、イタリア中の全公用車(2011年は65,000台)の利用を国民がチェックできるようなオンライン・サービスも始まった。

2012年2月16日木曜日

再審:終身刑から無罪に

1976年1月、シチリア島の海辺の町アルカモ・マリーナで2人の若いカラビニエーリ(軍警察)が就寝中に殺害された。犯人の一人として逮捕され、9回にもわたる裁判の末に終身刑を言い渡されたジュゼッペ・グロッタさんは21年間の服役後、今回レッジョ・カラブリア控訴院で無罪となって釈放された。無罪を主張したのは検事総長。判決文が読み上げられるとグロッタさんは当時2才で今は24才になっている息子を抱きしめて泣き崩れた。
「まるで時計が36年前に戻るかのようです。逮捕されたのは事件の約1ヶ月後の1976年2月12日でした。どうして逮捕されることになったのか分かりません。当局はどうしても犯人が欲しかったのです。わたしを逮捕して犯人を捕まえたつもりだったかもしれませんが、正義(giustizia)は行われませんでした」。バルダッサッレ・ラウリア弁護士は「グロッタさんは権力闘争の犠牲者になったのです。彼の人生がめちゃくちゃになった事実はだれも変えることはできませんが、今日の判決は正義を実現しました」。同じ事件で有罪判決を受けブラジルに逃走中の2人についても現在再審手続きが進められている。他の2名はすでに死亡しているが、その内の1名は逮捕6ヶ月後に獄中で不可解な自殺を遂げ、未解決のまま。

2012年2月14日火曜日

アスベスト汚染裁判

「歴史に残る判決」

アスベスト汚染による被害者と遺族が、加害者であるEternit社の幹部を告訴した裁判(トリノ法廷)で、被告2名にそれぞれ懲役16年の刑が言い渡された。裁判官は、亡くなった3000人の名前も一人ひとり読み上げた。

Eternit社のカサル・モンフェッラート工場で働いていた従業員3000人が、アスベスト健康被害で死亡した。その真実が司法によって認められるようにとずっと戦い続けてきたアスベスト被害者遺族会の象徴的な人物、家族5人を失ったロマーナ・ブラゾッティさんは「戦いはまだ終わってはいません。若い人たちがこの戦いを引き継いでくれることに大きな希望を感じます」と語った。判決後ラッファエーレ・グァルニエッロ検事はコメントした。「歴史に残る判決です。判決文が読み上げられていた間、わたしは夢を見ているように感じました。真実はいつか必ず認められると、今後多くの人が信じられるようになると思うと、感無量です」。支援者がかざすプラカードには「Lavorare senza morire 死なないで働けるように!」と記されていた。

1992年以前に生産された1200万トンのアスベスト汚染物がイタリア全土に残されている。CNR(イタリア学術会議)は汚染マップを作成。地上1500メートルの高さに探知用飛行機を飛ばし、大気中のアスベスト量を測定している。現在イタリア中で毎年2000人がアスベストによる様々な疾患で死亡しているが、その数がピークを迎えるのは2017年。アスベストは廃棄できないので、解決策が見つかるまで、樹脂で覆われてそれぞれの場所におかれる。
賠償額は8千万ユーロ、告訴者(原告)は6千人。

2012年2月13日月曜日

ジリオ島

事故(1月13日)から4週間後

コスタ・コンコルディア号を撤去するには7~10ヶ月かかる見通し。
今日から3~5日かけて6タンクから全燃料の67%を抜き、その後、困難が予想される海底側のタンクから慎重な抜き取り作業が行なわれる。1ヶ月かけて84%が完了し、その時点でやっと海洋汚染の危機から脱する可能性が見えてくる。
ピアニストやインド人の客室係を含む15名がいまだに不明で捜索されている。

アテネの夜

財政破綻寸前のアテネでは、国会議事堂前のシンタグマ広場にデモ隊が集結。一般人に混ざった暴力的なグループがガスマスクを付け火炎瓶を投げて警官たちと衝突した。
現在ギリシャの債務は2760億ユーロ。その内訳は金融機関から2000億、各国の中央銀行とEU中央銀行から600億、一般貯蓄者から160億ユーロとなっている。だれがその債務を引き受けることになるのか。EUの主な債権者としては、フランス(500億ユーロ)、ドイツ(230億ユーロ)、イギリス(140億ユーロ)、イタリア(70億ユーロ)が名を連ねている。

イタリア中南部に豪雪

ボローニャでは積雪50cm。ラファエッロ生誕の地ウルビーノ(世界遺産)では現在3~5メートルの雪が積もり、大雪警報が発動された。ウルバニアでは雪の重さでルネッサンス期の「クロチフィッソ(磔刑)教会」の屋根が崩落。アヴェッツァーノ(ラクイラ県)では氷結のため道路が閉鎖されている。ラツィオ州でも多くの市町村が孤立しており、水道や電気が使えない地域もある。道路の凍結防止に撒く塩も各地で不足。さらに、バジリカータ州では500人が孤立し、アチェレンツァ(ポテンツァ県)では切れた電線を接続するためにgattti della neve(雪の猫=大型除雪車)が出動した。
地中海性気候のイタリア中南部は通常降雪量が少なく、今年は異常気象。86才で人生初めての豪雪にみまわれ、雪かき初体験をしたお年寄りもいる。

2012年1月26日木曜日

1月27日 Giorno della Memoria 「記憶の日」

2000年法律第211号で定められたイタリア共和国の祭日。
1月27日が「記憶の日」とされたのは、1945年のこの日、ソ連軍の進軍によってアウシュビツ(ポーランド名:Oświęcim)強制収容所の門が開かれ、Shoah(ユダヤ民族大虐殺)の実態が世界に発覚したことによる。ドイツ、イギリス、その他の国々、そして国連も、同日、ナチズムによるジェノサイドの悲劇と、身の危険を恐れずユダヤ人を救うために尽くした人々を記念する。

2012年1月25日水曜日

Guardia di Finanza(財務警察)が見つけた2011年度の脱税

脱税で摘発された件数は、12,000件。その内7,500件は「evasori totali」つまり全く税金を払っていない「完全脱税者/社」で、総額210億ユーロ(約2兆円)の所得を隠蔽していた。その他の件数は、偽造請求書 (1.981 件)、IVA(付加価値税)不払(402件/20億ユーロ)、確定申告不提出(2.000 件)、帳簿隠匿/破棄(2,000件)。
財務警察は今年すでに902,000,000ユーロ(約900億円)を徴収した。

2012年1月24日火曜日

モンティ内閣 (任期2013年春)

マーリオ・モンティ首相の見解:
「業界の利益」を追求してきたこれまでの社会を見直し、今後は「全体の利益」を最優先する国を目指す。足枷となっていた個々の結託や結束に対抗するには改革法が必要だが、すべてオープン・マインドで進めたい。タブーはあってはならない。
公共事業においては民間の資本参加を積極的に支援し、保証付き公債(プロジェクト・ボンド)を発行する。
「簡素化法」を国会で成立させ、公募やその他公的手続きを簡素化する。

首相が推進する「自由化」については、タクシー業、運輸業、鉄道、薬局、新聞のキオスクなど、多くの業界が既得権の侵害を懸念し、ストを計画中。 ボッシ率いる地域主義政党「北部同盟」は、モンティ内閣を「governo infame (悪辣政府)」と呼んで決起大会を開いた。他党のほとんどは今のところ政府に協力の姿勢を表明している。

2012年1月18日水曜日

若者が学ぶ外国語

イタリアの若者たちの間で、第2外国語として「珍しい言語」を選ぶ傾向が出てきた。「Sono cittadino del mondo(僕は世界市民)」、「イタリアがすべてではない」、「世界のどこへでも行きたい」。これまでマイナーだった中国語やアラビア語など、ヨーロッパ圏外の言葉を学びたいと、17、18才で留学し、新しい文化と言語を身につけて「小さな大人になって」帰ってくるという。そういえばフィレンツェの友人の娘(17才)も単身でタイに勉強に行っている(滞在予定6か月)。

2012年1月17日火曜日

豪華客船の座礁

1月13日夜、4239人が乗っていたCosta Crociere 社の「コスタ・コンコルディア」がジリオ島(Isola del Giglio)付近で座礁。船長Francesco Schettino(フランチェスコ・スケッティーノ)が過失致死罪で逮捕され、オイル流出を危惧した政府は非常事態宣言を発動した。

押収されたマフィアの財産が農業協同組合に

15年前、カラブリア地方の小さな村カサル・ディ・プリンチペ(Casal di Principe)で司祭ペッペ・ディアーナがミサ中にマフィアによって殺害された。当時15才の女の子だったミレッラは、村の人たちがテラスにシーツを掲げ、これに抗議したことを覚えている。その後、法学部を卒業したミレッラは、裁判所がカモッラ(カラブリア地方のマフィア)から没収した土地・建物を借り受け、有機農業の協同組合(名称:Cooperativa Eureka)をつくった。今そこでは、貧しい人々、障害者、アフリカからの移民などが職を得ている。「自由でありなさい」と言っていた故人の遺志を継いだミレッラは、社会から疎外されていた人々が今は「仕事し、買い物に行き、床屋に行く自由を得ています」と語る。

2012年1月13日金曜日

2020年開催オリンピックにローマが立候補

ローマの他に名乗りを挙げている都市は、東京、アゼルバイジャンのバクー(Baku)、カタールのドーハ(Doha)、トルコのイスタンブール(Istambul)、スペインのマドリード(Madrid)で、2013年9月に行われる国際オリンピック委員会の総会で開催地が決定される。

ローマでの開催には、47億ユーロの投資、GDP (国内総生産)17%増が見込まれている。前回のローマオリンピックは1960年。高度成長期真っ只中、フェッリーニの映画「Dolce Vita (甘い生活)」が世に出た年だった。
http://www.youtube.com/watch?v=iC_UjMsYmJc

2012年1月12日木曜日

「自由化法」

キオスク(新聞・雑誌販売店)、タバッキ(専売特許のタバコや切手などの販売店)、タクシー業、薬局、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、輸送業、など、あらゆるカテゴリーや職種が近々「自由化」される。
自由化に反対するタクシー業者は23日に全国ストを予定。消費者団体はそれを非難している。

伊独首脳会談(ベルリン)

メルケル首相:「イタリアがこのように短期間ですばらしい歩みを進めたことに驚きます」
モンティ首相:「イタリア国民には大きな犠牲が求められました。今度はヨーロッパ諸国にも努力が求められます。ヨーロッパはもはやイタリアがEU圏における『感染源』となるのではないかと懸念する必要はなくなりました。ドイツ、フランス、その他の国々と協力して自らの役割を充分に果たすイタリア。その可能性を信じて頂けることを期待します」

EUの総力を結集させる必要性を説くモンティ首相のことばに応え、メルケル首相は、「もちろんドイツを含めすべての国に構造改革は不可欠です。それを実現するには公共事業の必要はありません。構造改革は社会を見違えるように変えるでしょう」

2012年1月11日水曜日

ピッティ・ウオーモ(Pitti Uomo) 開幕

2012年1月10日~13日、フィレンツェ、フォルテッツァ・ダ・バッソ。
Pitti Immagine Uomo が提案する今年のメンズファッションは粋な「オールドスタイル」。25~30才の若者向きに復活したダブルのジャケット、ワイン色とココア色の駱駝のシャツ、パタゴニア・マーラ(Dolichotis patagonum)の灰色がかった毛皮…。

http://www.rai.tv/dl/RaiTV/programmi/media/ContentItem-b5328412-b931-4ad1-9320-55eac4bd1472-tg1.html#p=0

2012年1月10日の株式市場(ヨーロッパ)

3日間の続落後、きょうはプラスに転じた。(ミラノ証券取引場)
ミラノ     + 3.08%
フランクフルト + 2.42%
パリ     + 2.66%
ロンドン + 1.50%

2012年1月10日火曜日

RAI(イタリア国営放送)の改革

モンティ首相は、月末にはRAIの改革にも手を付けると表明。ベルルスコーニ率いるPopolo della Libertà(自由人民党)は「他にすることがあるだろう」と牽制するが、他党は大いに歓迎している。Italia dei Valori (価値あるイタリア)党首ディ・ピエトロは「RAIから政党を追放すべき」と訴える。

モンティ首相の今週・来週の動き

2011年12月、国会で「イタリア救済法 (Decreto Salva-Italia)」を成立させ、2013年に達成目標の国家収支赤字脱出への歩みを踏み出したモンティ政権は、EU諸国にもそれぞれの「宿題」をはたすよう呼びかける意向で、水曜日(11日)にはドイツのメルケル首相、来週の水曜日(18日)にはイギリスのキャメロン首相、20日(金曜日)にはメルケル首相&サルコジ大統領との会見が予定されている。
「自由化」を最重要視するモンティは、厳正さだけでなく成長のためのイニシアティブを共にとろうとEUの首脳たちに提言する。

アルノ川でゴルフ?

フィレンツェでゴルフのトーナメント「ポンテ・ヴェッキオ・チャレンジ」が開催された。アルノ川に浮かぶ筏に緑の絨毯を張り、そこに設えられたホールを目指して打つというもの。ポンテ・ヴェッキオの橋の上や岸辺の筏から狙う。フィレンツェのゴルフの歴史は長く、近郊のキアンティ地方には有名なゴルフ場「ウゴリーノ」もある。近年、知名度を上げてきた選手(Andrea Pavan, Fratelli Molinari, Matteo Manassero, Lorenzo Galli, Federico Colombo)の活躍も目立ち、イタリアでもゴルフを楽しむ人の数が増えつつある。

2012年1月6日金曜日

イタリア人の確定申告

48% のイタリア人が自分の所得を年間15,000ユーロ以下と申告している。
40% が15,000~35,000ユーロ
8.7%が 35,000~100,000ユーロ。
年間100,000ユーロを超える所得を申告しているのがたった1%!

イタリア人の豊かな生活ぶりを見るととても信じられない。外国で不動産を購入するイタリア人も増え、10年前の2倍になったとのこと。とくに人気があるのはヨーロッパ各国の首都の中心街。
一方、周りを見渡すと、電気代も払えない年金生活者や低所得者が多くなってきたようにも感じられる。

エトナ山噴火 (2012年1月5日)

Monte Etna が年明け早々また噴火した。轟音が響きわたる中、白い雪と赤い炎が空に映え、美しいコントラストを描く。

http://www.rai.tv/dl/RaiTV/programmi/media/ContentItem-3139fbc5-172e-49ac-bbd7-33f459a343dd-tg1.html

米大統領選に向けた共和党候補選びの幕開けとなるアイオワ州党員集会。

イタリア人3世(リック・サントラム、53才)が善戦。

1月4日に行われた選挙では、TVコマーシャルなどに巨額の宣伝費(1票あたり113ドルに換算される)を使ったRomney 氏が圧倒的に優勢とされていた。対するRick Santorum 氏はほとんど無名。「足を使った選挙活動」により1.65ドルしかかけなかったにも関わらず、8票という僅差にまで追い詰め、接戦の末敗れたが、実質的な勝利者と呼ばれている。
Santorum氏の祖父は1923年、ファシズムから逃れ若くしてアメリカに渡ったガルダ湖畔出身のイタリア人。炭鉱夫をして子供たちを育て上げ、大学に進ませた。孫のリックもアメリカで法律学を修めた後、フィレンツェ大学の専門課程に進んだ。
政治家としてのリック・サントラムは、「信仰、自由、家族」を重視する典型的な保守派。

イタリアの若者の失業率30%を超える。

ISTAT(イタリア中央統計局)の報告によると、2011年11月イタリアの総失業者数は2,142,000人に達し、失業率は8.6%(前年比+0.4%)。最も不利な状況におかれているのは女性と若者で、特に、15歳から24歳までのイタリア南部の女性の失業率は39%。年金受給開始年齢が高くなってきているためもあって、父親たちが職場に残り、息子たちが仕事につけないという現象もおきている。

ミラノ証券取引所(1月5日)

この日はイタリア証券取引のブラック・デー(-3.65%)となった。引き金となったのはUnicredit Bancaをはじめ大手銀行株の大幅下落。 一方、パリでは、-1.53%、ロンドンは-0.78%、フランクフルトは-0.25%と、イタリアほど大きな株価の変動はみられなかった。このところハンガリーもギリシャに次いで国家破綻の危機に瀕していることが判明し(ハンガリー国債の利率は10%に上昇)、ヨーロッパを震撼させている。