2016年5月18日水曜日


エルマンノ・オルミ監督『緑はよみがえる』の字幕翻訳を終えて



 イタリア語の翻訳を生業にしていると、英語圏の社会習慣がいかにデフォルトとして刷り込まれてきたかに気づかされる。姓名の書き方もその一つで、イタリアでは公的文書(婚姻届など)では日本と同じく、姓名の順で表記される。軍隊組織も同様であり、兵士のもとに届いた手紙の宛名を読み上げる場面では、たとえばCarlo Modestoではなく、Modesto Carlo、Enrico Fabrisではなく、Fabris Enrico。ところが、何人かの兵士の宛名は、名・姓の順になっている。揃えようと揃えられたはずのところを、あえて揃えなかった演出だと思う。社会習慣である以上、誰もが同じルールに従うわけではないからだ。そこにオルミ監督らしいリアリストのまなざしを感じた。2度にわたる手紙の場面は、兵士を名前で呼ぶことに命と等しい重みを担わせた、この映画の白眉。だれが名・姓の順で呼ばれているのか、映画館で確認してみてほしい。

 映画冒頭のモノローグでは、雪をかぶった常緑樹のモミの木、abete(アベーテ)の姿が「クリスマスツリーのようだ」と表現される。それと対をなすように、後半の劇的展開直前の美しい風景の焦点となるのが、落葉樹のカラマツ、larice(ラリーチェ)。映画の舞台、ヴェネト地方の方言ではlarese(ラレーゼ)という。ラリーチェよりも、さらにまろやかな響き。一面の銀世界の中、葉を落とした幹を黄金色に輝かせるラレーゼ。静から動へ、雪から炎へと一転する、この重要な場面に、なんとふさわしい神々しさ、なんと美しい言葉だろう。


エルマンノ・オルミ監督『緑はよみがえる』

岩波ホールで上映中。

公式ホームページ:http://www.moviola.jp/midori/