2011年11月28日月曜日

Monti内閣の所信表明

上院での演説より

国会に信頼と権威を取り戻さなければならない。
深刻な緊急事態を乗り越えるために、建設的な一致の精神で立ち向かう。
そして、国民と行政、国民と政治を和解させる。
ヨーロッパは今、戦後最大の難局に直面している。しかし、もしユーロが消滅したら、われわれは50年代に立ち戻ってしまう。
ユーロの未来はこれから数週間の間にイタリアが実行する政策にもかかっている。

3つの柱に基づいた財政再建が必要となる。
1)緊縮予算、2)経済成長、3)平等性。
成長の欠如が、この数年間に国民が行なった犠牲を無駄にしてしまった。
政府の目標は赤字財政からの脱却であり、経済成長がスタートしなかったら信用は得られない。
イタリアの多くの研究機関は以前から「何をすべきか」を表明しており、EUから義務付けられる前にわれわれはそれを知っていた。経済にかけられたギブスを今こそはずさなければならない。
女性と若者が職業につけるような取り組みを優先し、強力な団体・機関を優遇しない。
20-30年後、国債が満期になった頃のイタリアを念頭に置き、債務減少のための犠牲は平等とする。
失敗したら金融危機は自動的にその歩みを進め、社会の弱者層はより厳しい状況に置かれることになるだろう。
この政府の特徴は、人的資源を活用し、イタリアの才気に投資することにあり、成長の障害となるものは取り除く。公共機関に潜入するマフィアを含め、あらゆる種類のマフィアと戦う。
政党間の対立に明け暮れた長い年月に別れを告げ、目標や選択に関しては政党を超えたコンセンサスのもと、国民が政府や行政に信頼をおけるような時代にする。

イタリア新内閣の編成

11月16日、ナポリターノ大統領に指名された新首相、マリオ・モンティは閣僚人事を発表。100%民間人を起用したテクノクラート新内閣が発足した。
Ministri con portafoglio: 大臣名/省
― Mario Monti (マリオ・モンティ)
ministero dell’Economia e Finanze (Interim); 首相 兼財務大臣
― Giulio Terzi di Sant’Agata (ジュリオ・テルツィ・ディ・サンターガタ)
ministero degli Affari Esteri = 外務省
― Anna Maria Cancellieri (アンナ・マリア・カンチェッリエーリ)
ministero dell’Interno = 内務省
― Paola Severino(パオラ・セヴェリーノ)
ministero della Giustizia = 法務省 
― Giampaolo Di Paola (ジャン・パオロ・ディ・パオラ)
ministero della Difesa = 国防省
― Corrado Passera(コッラード・パッセラ)
ministero dello Sviluppo Economico = 経済発展省
ministero delle Infrastrutture e Trasporti =兼インフラ・交通省;
― Mario Catania(マリオ・カターニア)
ministero delle Politiche Agricole e Forestali = 農林政策省
― Corrado Clini (コッラード・クリーニ)
ministero dell’Ambiente, Tutela del Territorio e del Mare 
=環境・国土/海洋保護省
― Elsa Fornero(エルザ・フォルネーロ)
ministero del Lavoro e Politiche sociali con delega alle Pari opportunità
=労働社会政策(機会均等)省
― Renato Balduzzi(レナート・バルドゥッツィ)
ministero della Salute = 厚生省
― Francesco Profumo(フランチェスコ・プロフーモ)
ministero dell’Istruzione Università e Ricerca = 大学科学技術省
― Lorenzo Ornaghi(ロレンツォ・オルナーギ)
ministero dei Beni e Attività Culturali = 文化省
Ministri senza portafoglio: 無任所大臣
― Fabrizio Barca (ファブリツィオ・バルカ)
Coesione territoriale = 地域一体
― Piero Giarda (ピエーロ・ジャルダ)
Rapporti con il Parlamento= 国会連携
― Piero Gnudi (ピエーロ・ニューディ)
Turismo e Sport = 観光・スポーツ
― Enzo Moavero Milanesi (エンツォ・モアヴェーロ・ミラネージ)
Affari Europei = EU関連
― Andrea Riccardi(アンドレア・リッカルディ)
Cooperazione Internazionale e Integrazione=国際協働/融合

2011年6月14日火曜日

「SI (原発反対)」は95~96%

イタリアの国民投票(Referendum)の結果

今回の国民投票では若者が主導権を握り、ウェブを通じて人々に呼びかけました。街の広場には大きなスクリーンが置かれ、集まった群集は、サッカーのワールドカップさながらの熱気を帯びて選挙の結果を見守りました。
「政党の旗を持ってきてはいけない」という呼びかけがあり、広場は普段着姿の「普通の人々」で埋め尽くされました。
「SI’(原発反対、など4項目)」が勝利することが分かると、みな躍り上がって喜び、ダンスし、乾杯の杯が交わされました。今回は国民投票が有効となるためのQuorum(投票者数)50%を大きく超える57%が投票所に足を運びましたが、これは15年来のことでした。

12日19:00の国営テレビTG3がインタビューした人々の声です。
若者「みんなの権利は少数の人間の利益より大切なんだ」
赤ちゃんを抱いたお母さん「庶民の勝利です。とうとうこの日がやって来ました!」

2011年6月9日木曜日

国民投票に関するイタリアの報道

イタリア国営放送TG3(テレジョルナーレ3) 6月8日19:00の放送から。

TG3のインタビューに、原発容認派の核物理学者レナート・アンジェロ・リッチ氏は、「現在イタリアは、原子力発電を行なっているフランス、スイス、スロヴェニア等の諸外国に総電力の13~14%を依存しており、このような状況下で再生可能エネルギーにシフトすることは不可能です」と語っています。一方、脱原発を提唱するヴィンチェンツォ・バルツァーニ氏(元ボローニャ大学教授)は次のように答えています。「核エネルギーは危険なだけではなく、非経済的です。イタリアには存在しないウラニウムを輸入するわけですから、原子力発電でのエネルギー自立は成り立たないのです。猛毒な核廃棄物は廃炉になった後も保存し続けなければなりません。それは未来に対する危険な賭けです。私たちの後につづく世代に、これを『遺産』として残すなどということは倫理的に許されることではありません。もし未来の世代が今回の国民投票に参加できるとしたら、彼らは『SÌ (原発建設反対)』と投票するでしょう」。

2011年6月7日火曜日

脱原発国民投票(Referendum)

来たる2011年6月12日(日)(8.00~22.00)と13日(月)(7.00~15.00)に、イタリアでは脱原発の意志を国民に問うレフェレンドゥム(国民投票)が行なわれます。「SÌ」に投票した有権者は「イタリアでは将来原子力発電所を建設しない」意志を表明し、「NO」に票を入れた者は「将来的にイタリアで原発を建設する可能性を残す現行の法律のままでよい」という意志を表明します。有権者の50%+1が参加した場合にのみ国民投票は有効とされるため、その日に「海に行かないように!」とか、「参加した人には1ドリンクサービスあり」とか、無関心層を引き込むキャンペーンも今イタリアでは活発化しています。

2011年6月1日水曜日

「中央権力」とファルコーネ判事の暗殺

1992年5月23日、17時58分、高速道路に埋められたトリット(高性能爆薬)が遠隔操作で爆発し、マフィアと真正面から戦ってきたファルコーネ判事、妻、3人の護衛官がいのちを失った。
この「遠い昔から予言されていた悲劇」に至る道に目をやるとすれば、少なくとも1986年に遡らなければならない。イタリア史上はじめてとなる、マフィア全体を相手にしたMAXI裁判が始まり、翌年1987年12月16日、当時のマフィア組織を根絶させるに充分な「模範的な」判決が下された。マフィアの19人の親分全員に無期懲役、300人を超えるマフィア組員が有罪となった。
(注:’80年代の「マフィア戦争」では、警官、裁判官、弁護士等、マフィアにとって邪魔になる人々が次々と殺害され、その数は4000人を超えていた)

元親分トンマーゾ・ブッシェッタの改心による供述をもとに、ファルコーネ判事は危険を知りつつも、敵陣の中でただ一人戦うかのような努力でこの裁判のために証拠・証言を積み重ねていった。誹謗中傷もあえて身に受けた。彼は言っていた。「隠れた中央権力(Centri occulti di potere )がわたしを爆弾でぶっ飛ばすだろうな・・・」。
「シチリアの春」と呼ばれ、「市民がわたしたちを熱狂的に応援してくれているようだ」とファルコーネにも言わせた、マフィアに対しての大勝利の後、早くも1988年に、竜の尾はファルコーネを襲った。ファルコーネ判事こそパレルモの「予審局長」に選出されることが望まれていたのに、CSM(最高司法府)は「多数決で」他者(アントニーノ・メーリ)を局長に選んだ。それは、あたかもファルコーネに対する死刑宣告でもあった。

以前から、マフィアと「隠れた中央権力」の間には、公けに口に出来ない共生システムがあるのではないかという疑惑が持たれていた。
「麻薬の売買は形跡を残さないが、金銭の動きは形跡を残す」という確信のもと、スイスでの調査も率先して実施していたファルコーネに対して、当時の法務長官ピッツィッロはこう言ってのけた。「シチリアの経済を破滅に追い込むだろう」。

改心者トンマーゾ・ブッシェッタは予言していた。「まずは彼のイメージを、次にその肉体を破壊するだろう」。まさしくそのシナリオ通り、1989年にはファルコーネを告発する匿名の手紙がたくさん届き、各面からの誹謗中傷は後を絶たなかった。
1989年6月20日、パレルモ郊外の海辺の町ダウラでスイスの司法関係者と会っていたファルコーネに対するダイナマイト暗殺未遂事件が起きた。これにより「隠れた中央権力」はマフィアに「指示する」こともできるようになっていたことが明らかになった。

1992年3月12日、DC(キリスト教民主党)のEU議会議員、首相経験者アンドレオッティ派でマフィアと「隠れた中央権力」のバランスを取っていたとされるサルヴォ・リーマが暗殺された。これは、新しいコーサ・ノストラ(マフィアの別名)からの宣戦布告でもあった。

誰かが、マフィアと隠れた中央権力との密接な関係をファルコーネが見つけ出すのではないかと恐れていた。それが1992年の状態だった。そして1989年に未遂で終わった暗殺を完遂させた。

2009年、「カパーチの虐殺」の司法調査が再開された。

2011年5月31日火曜日

イタリア地方選挙のballottaggio(決選投票)

2011年5月29日(日)8:00~22:00、30日(月)7:00~15:00に行なわれた、県庁所在地13都市を含む88のコムーネ(市町村)長を選ぶイタリア地方選挙の「決選投票」で、中道左派が大勝利をおさめた。
第1次選挙で中道左派の市長が選ばれたボローニャとトリノに続き、今回の決選投票でも、ヴァレーゼ、コセンツァ、ロヴィーゴを除く大都市の殆ど、つまり、ミラノ、ナポリ、ノヴァーラ、リミニ、グロッセート、クロトーネ、トリエステ、ポルデノーネ、カリアリ、イグレシアスで中道左派の市長が選出された。
ベルルスコーニ首相のコメント。「われわれが負けたのは確かだ。しかしミラノの市民はよくないことが起きないように神に祈らなければならない。ナポリの有権者たちはみなひどく後悔することになるだろう。」
マスコミ王で企業家の「ベルルスコーニ時代」の終焉が到来しようとしているのだろうか。

MilanoではGiuliano Pisapia (55.1%)が、NapoliではLuigi De Magistris (65.37%)が、CagliariではMassimo Zedda (58.2%)が新市長になった。