Italia Lockdown
イタリア、ロックダウン
Italia Lockdown - I due mesi che hanno cambiato il nostro
paese.
E se non fosse andato tutto bene?
わたしたちの国を変えた2ヶ月間。
そしてもし、「すべてうまく行った」のではなかったとしたら?
0:06 夫は亡くなりました。小さい娘がいます。どうやって知らせればいいのでしょう。わたしも咳をしています(という相談もありました)。
0:18 わたしと電話中に亡くなったのです。
0:21 この疫病は多くの人生を奪い去ってしまいました。
0:23 あなたがたが(僕たちを元気づけるために)バルコニーで歌っている姿を見ました。
0:26 国歌を歌っているのを。
0:27 「すべてうまく行くよ!」 と叫んでいるのを。
O:31 けれども他の人たちはあなたがたにこう言っていました。(墓地の映像)
0:33 「まだ止める必要はない」
0:33 「不安を煽ってはいけない!」
0:35 物的・人的資源には限度があります。
0:36 そうこうしているうちにICUは塞がって行きました。
0:41 医師:「現在ここは満杯状態です」
0:44 医療従事者:「これは疫病の音(救急車のサイレン)。 戦争のようです。」
0:49 しかし少し経つと、「すべて開放しよう!」
0:54 でも多くの患者は人工呼吸器に繋がれていました。
0:57 まさに災厄です。
0:58 このような状況がいつも、毎日続きます。
1:03 医師:「大惨事の中の医療です」
1:04 孤独の中で死を迎えなければなりません。
1:07 見ず知らずの人の隣りで……。
1:08 死に瀕している人にとってはとりわけ悲惨です。
1:10 女医:「なぜなら、まったくの孤独の中で死んで行くのですから。」
1:16 医療関係者は悲劇的なことばかり見てきました。
1:19 30分ごとに埋葬します。
1:20 番号ではありません。死んだ人みんな、母、祖父母なのです。お父さん、友人・・・。
1:28 置き去りにされた、たくさんの棺。
1:32 「教会でこれほどたくさんの棺が置かれているのを見たことはありません」
1:37 手を握ってあげたかった者の言い尽くせない悲しみ。
1:43 もし、すべてがうまく行ったのではなかったとしたら?
1:44 自分の身に起きたら、どう感じますか?
1:55 この人は絶対呼吸器に繋がれることになるでしょうね。
1:58 Covid陽性の疑い。(救急車で運ぼうとしている)
1:59 「呼吸困難の症状があるので、わたしたち救急班が呼ばれました。」
2:01 「レントゲン検査で両肺に肺炎が見られました。」
2:06 「救急病院に運ぶように言われました。」
2:11 「ベルガモにはもう空き病床がなかったので、目的地をここに変えさせられました」
2:15 「一人運んだかと思うと、他の場所(救急病院)に行かされます。」
2:17 市民保護局長、ボレッリ:「残念ながら本日、新しく889人の死亡を確認しました」
2:24 「次の患者を待つ準備をしています。」(救急車の消防員)
2:28 「せん妄状態です。」
2:32 わたしたちの国に大きな衝撃を与え、混乱に陥れた、医療緊急事態です。
2:35 2月21日、コドーニョで始まりました。
2:39 ミラノから50キロの村です。
2:41 パヴィアのサン・マッテーオ病院、ICU病棟責任者、フランチェスコ・モヨーリ医師:
「あの週末をよく覚えています。」
2:45 「2月21日でした。」
2:49 「夜間に”患者No 1 “(と呼ばれるようになった人)の入院を受け入れました」
2:56 マッティーア、38歳の若者でした。
2:58 父親:「息子はこちらよりあちら(死後の世界)に近いです。」
3:02 「重篤です。」
3:02 初めて、イタリア人のコロナウィルス陽性反応患者が出ました。
3:08 発見したのはこの女性麻酔医でした。
3:12 コドーニョ病院勤務の麻酔医、アンナリーザ・マラーラ:「ここに来た時は、重篤な肺炎でした」
3:15 「奥様が、夫は中国から帰国した同僚と夕食をとったと言ったのです、すぐに頭の中で警報が鳴りひびきました。」
3:28 「PCRテストをしたら、陽性反応が出ました。」
3:31 モヨーリ医師:「それからの48時間! これほどの重篤患者を入院させられるのは、わたしたちの病院だけでした。」
3:40 イタリアで初めてのコロナウィルスの患者を発見してから2日後、コンテ首相はコドーニョ地域をレッドゾーン(封鎖地域)に指定しました。
3:50 コンテ首相:「この地域を感染源と定め、地域から出ることを禁止する暫定措置令を施行しました」
4:03 すべての注意がコドーニョに向けられていたその時、ウィルスは1ヶ月前からレッドゾーンのチェックポイントの外で、誰にも邪魔されずに広がっていました。
4:12 ミラノ大学ウィルス学者、ファブリツィオ・プレリアスコ:「ウィルスは12月末/1月初めから北イタリアに蔓延し始めていたのです。患者No.1 は、患者No.200だったかも知れないのです。誰にも分かりません」
4:21 クレモーナ病院ICU病棟主任医師、アントニオ・コルッチェッロ: 「2月21日以前に、何かが見逃されていた可能性があります。これは確実です。なぜなら問題に焦点が当てられていなかったからです。」
4:24 クレモーナ病院感染病棟長、アンジェロ・パン医師:「WHOの検査基準は、”重症肺炎患者で最近中国に旅行した人”となっていたからです」
4:34 「その感染条件がない場合、頭の隅にも疑いを持つことはありませんでした」
4:38 女性記者:でも2人の中国人観光客の件もあったし、すでに11月からCovidの存在は知られていましたよね。
なぜ病院は緊急体制に入らなかったのでしょうか。肺炎患者には気をつけよう、とか。
4:48 パン医師:「この質問はわたしに向けないでください。本当に、答えを持ち合わせていません。」
4:54 パドヴァ大学感染病専門医,アンドレーア・クリサンティ:「おそらくイタリアは行動方針を間違っていたのです。」
4:59 医師たちがウィルスを認識できないでいる間に、ウィルスはイタリアに広がって行きました。
ミラノではのちに感染爆弾と呼ばれることになった事件がありました。
5:12: 「チャンピオンズリーグの試合でした。」
5:15: コロナ患者だった人:「わたしはアタランタ/ヴァレンシア戦の翌日、発病しました。」
5:20: ベルガモのヨハネ23世病院の救急救命センター主任医師、ロベルト・コセンティーニ:
「大型バスでベルガモから数千人がサン・シーロに向いました。
もしそこで”すべてがうまく行っていたのではなかった”としたら?
確かに感染を増大させたでしょう。」
5:28: コロナ患者だった人:「わたしはおそらくすでに感染していたと思います。
試合は他の人々へ感染を広める起爆装置になったかも知れません。」
5:36: 感染の拡大は火事にそっくりです。症状があまりない患者も、2次的に他の15人にうつしてしまいました。
5:45 けれど専門家の誰一人としてその危険性の高さを予知していませんでした。
5:49 ミラノのサン・ラッファエーレ病院の感染病医、ロベルト・ブリオーニ(2020/01/31の発言):
「パニックにならないように、恐れずに、いつもの生活を続けましょう」
5:54 ミラノのサッコ病院の感染病医、マッシモ・ガッリ:「この病気はイタリアでは流行ることはないでしょう」
5:56 ミラノのサッコ病院の感染病医、マリア・リータ・ジスモンド:
「インフルエンザより少し重いだけの病気なのに、パンデミック疫病ではないかと誤解したのです」
6:01: パドヴァ大学の感染病医、アンドレア・クリサンティ:
「ジスモンド医師があのように言及したのは、おそらくこのウィルスのことを知らなかったからでしょう。」
6:07: 「イタリアの専門家たちは、過小評価しようとする政治家たちの影響を受けていたことが考えられます。」
6:12: ロンバルディア県知事アントニオ・フォンターナ:
「通常のインフルエンザより少し重いだけです。それほど危険な状況ではありません」
6:20: 政治家たちが過小評価している間にも、ウィルスの拡散はもはや止まることを知りませんでした。
6:27: ボレッリ市民保護局長:「皆さん、こんばんは。今日の感染者数は152名です」
6:37: 「呼吸困難。この女性は直接外部機関に回ります」
6:42: 女性の救急車スタッフ:「この患者は陽性でした」
6:44: 救急車スタッフ: 「衰弱しきっています」
6:45: 「発熱、ひどい倦怠感。声かけにやっと返事ができるほどでした」
6:50: 「単なるインフルエンザではありません。残念ながら実際にはより・・・危険なものです」
6:57: Covid-19から治癒した男性:「わたしは、あの数日間、病院を満杯にした患者たちの一人です。
生きるためにこの呼吸器を必要としていた人々の一人です。」
7:06: ウィルスはわが道を走り続け、ベルガモ県に広まって行きました。
7:14: この感染拡大はベルガモやブレッシャを襲い、無症状患者がコロナにかかっていると認識されずに
病院に到着することによって、病気が地域共同体にさらに広まって行きました。
7:30: アルツァーノのこの病院でベルガモ県初のクラスターが生まれました。
ベルガモ県はこのパンデミック感染でもっとも重大な被害を受けた地域です。
7:38: ベルガモ県アルツァーノの薬剤師、アンドレア・ラチーティ:
「2月23日、アルツァーノ病院で初めて、この地域でのコロナ患者が確認されました」
7:45: コロナ犠牲者の遺族、サビーナ::「病院についた途端に、何か異様な雰囲気を感じました。
マスクを装着し、興奮した看護師たちがわたしたちを迎えました。
PCR検査なしで人々を次々に退院させはじめました。
母は、2月18日に最後に見たのですが、その後一度も会えませんでした。
ドクターに呼ばれ、母は亡くなったと言われました。」
8:06: 女性の声:「強制的に看護師に連れて行かれました。」
8:10: コロナ犠牲者の遺族、フランチェスコ:「救急は2時間だけ閉まっていました。
父もあそこで感染したのだと確信しています。なぜなら入院中の母に会いに病院に出かけていたからです。」
8:19: 記者:なぜ、状況をこのように管理していたのですか?
8:20: 医師:「分かりません。医療責任者にインタビューすれば良いと思います」
8:23: アルツァーノ病院広報部:「わたしは病院長の指示に従っています。
現在のところ院長はこの件に関する記者発表を予定していません」
8:30: ベルガモ市 FP(Funzione Pubblica) CGIL(労働組合)事務局長、ロベルト・ロッシ:
「レッドゾーンに指定されなかったネンブロとアルツァーノでは、感染を媒介したのは主に病院であることは確かです。 そこでは残念ながら多くの死者が出ました。」
8:42: しかしロンバルディア州副知事は、病院は関係ないと言います。
8:47: 「共同体に感染を広めた要因は、様々な偶然でした。
病院で起きたのではなく、ライブハウス、バール、ジムなどで起きました。」
8:55: 記者:ライブハウスについての研究のことを知りませんでした。
8:59: 副知事:「研究発表があったわけではありません。」
9:04: 3月3日、ISS: Istituto Superiore di Sanità (国立衛生研究所)はネンブロとアルツァーノを、
コドーニョ以上に感染が広がっていることから、新しくレッドゾーンに指定しました。
9:13: バールの女性客:「レッドゾーンになる前に最後のコーヒーを飲んでいます」
9:16: 女性:「こうなると想像していました。アルツァーノ住民の中では、ここから出る準備を済ませた人もいます。
レッドゾーンに居たくないので、祖父母、叔父叔母、親戚のところに行ってしまいました。」
9:24: 道路脇に「マスクをつけましょう。自分が他の人に対して危険かもしれません」と書いた旗が掲げられています。
アルビーノ市長、ファビオ・テルツィ:「わたし達はすでに準備していました。
ここはレッドゾーンになると思っていたのです。市民達は知っていました。家の前に兵隊がいて、その翌日・・・」
9:33: 記者:しかし翌日、何かがうまく行きませんでした。
9:36: ベルガモ市長、ジョルジョ・ゴーリ:「あの地域が閉鎖されませんでした。
なぜそんなことになったのか、まったく分かりません。誰が抵抗したのか。」
9:42: 「なぜネンブロがレッドゾーンに指定されなかったのか、わたしは知りません。
政府に聞いてください。レッドゾーンに指定する権限があるのは政府ですから。」
9:50: 記者:実際には、ロンバルディア州もレッドゾーン指定の権限を持っていました。
しかし、他の州とは違って、その権限を行使しなかったのです。
9:57: ベルガモ市ジョヴァンニ23世病院救急センター長、ロベルト・コセンティーニ:「ロンバルディア州知事から電話があり、状況を知らせ、もちろんのことですが、地域全体を封鎖するよう助言しました。その後で、みなさんご存知のことが起きたのです。封鎖効果は他の地域がその恩恵を受けましたが、残念ながらベルガモ県民は”封鎖効果”を受けることができませんでした」
10:15: 記者:政治が決断できないでいる間に、企業はまるで何も起きていないかのように大勢の従業員を移動させ続けました。(輸送トラックや工場内部などの映像)
10:22: 従業員:「現在のところ以前とまったく同じように働いています。上着、靴、シャツ、セーター・・・。
必需品を生産しているわけではないけれど」
10:30: 記者:今日も働いていますか?
10:31: 従業員:「全員働いています。」
10:34: 記者: すべて通常どおりですか?
従業員:「そうです。」
10:35: 女性従業員:「原材料を加工中です(生産ラインは動いています)。必需品ではないのですが。」
10:39: 記者:マスクや手袋は配給されましたか?
10:41: 「昨日届きました。」
10:43: 「まだ無かったからです。」
10:45: 経団連は活動停止をしないように求めていました。
10:50: ロンバルディア州が閉鎖を求めました。生活必需品でなかったら労働者を工場に送らないように、との指示でした」
10:55: 「わたしたちはそのようなことは言ったことはありません。閉鎖できる活動はどれか、教えてくれるよう、頼みました」
11:02: 記者:ロンバルディア州は企業に対して、(生産ライン停止について)自ら選択するよう、頼んだのですか?
11:06: 「まったくそういうことはありません」
記者:そう聞きましたが。
11:08: なぜならロンバルディア州は、一貫した活動中止の指示を出していませんでした。
救急車のけたたましいサイレンが鳴り響く中。
あの日々、救急車のサイレンはベルガモの谷間を満たすほど鳴り響いていたのに。
11:24: 「赤十字(救急車)のサイレンでなかったら、弔いの鐘の音でした。」
11:27: 「ひっきりなしでした。今日は葬式は4人目かしら。」
11:31: 記者:なぜアルツァーノとネンブロ地区はレッドゾーンに指定されなかったのでしょうか?
11:34: 男性:「録音していますか?」
記者:はい。
「では後で言います(録音なしで)。」
11:39: 男性:「ここは、この地域にとってだけでなく、国全体の経済にとっても、とても重要な地域なのです」
11:46: 記者:このテリトリーにはとりわけ重要な企業があるのですか?
男性:「企業名は・・・。」
11:50: 2人の男性:「アルツァーノにはピーニャが、それにペルシコも。」
11:52: 「ここがレッドゾーンになったら、我々には行く場がありません。
たくさんの企業があるし。皆自宅待機になってしまいます。」
11:59: 記者:しかしレッドゾーンというモデルは、勝利を収めるモデルだったのです。
12:03: 男性:「ヴォ(パドヴァ県)では何が起こったか。症状の有無関係なく、全ての陽性者には家に止まるよう命令があり、その他の人々は外出することができました。それ以後は、ヴォでは感染者は一人も出ませんでした。疫病が完全にブロックされた唯一の場所となりました。でも当時、メディアは発狂状態でした。」
12:25: 「イタリア全体が、世界に向けて、ここはすべてOKと見せようとしていました。」
12:34: ミラノ市長、ジュゼッペ・サーラ、英語:「不幸にも、北部イタリアでは何も起こっていないと報道するメディアがありました。それは現実とはかけ離れていました」
12:48: 市民保護局長、ボレッリ:「最も重要なデータとしては、ロンバルディアでの上昇・・・」
12:51: 同盟党の党首、マッテーオ・サルヴィーニ:「再開できることすべて、再開すべきだ。」
12:54: 市民保護局長、ボレッリ:
「陽性者数1,777名になりました。」
12:57: サルヴィーニ: 「再開、再興!」
13:02: 「ライブハウス、バール!」
13:02: 民主党党首、ニコーラ・ジンガレッティ:「世界中がイタリアを注目しています。
まず、真摯なリーダー体制が整っているかを。」
13:08: サルヴィーニ: 「再開、再開、再開。再び走り始めること。仕事を再開すること。」
13:11: ジンガレッティ:「今晩、アペリティフを飲みにミラノに行くよ。人生は止まらない、前進するんだと明言しにね。
この憎むべきウィルスはこの国を打ち負かすことは絶対ないと確信して。」
13:23: ジンガレッティ: 「……来ましたよ。わたしもコロナウィルスに罹りました。」
13:35: 記者:その間にロンバルディアの医療システムは、崩壊に突き進んで行きました。
13:43: 救急車女性スタッフ:「ここで起きていることを、外の人は理解しません。この中(病院)で起きていることを。」
13:48: 医師:「こちらに入って」
13:57: クレモーナ病院ICU責任者、アントニオ・コルッチェッロ:「わたしたちはこの膨大な波に巻き込まれ・・・
4つのICU病棟をすべてゼロから作りました」
14:05: ブレッシャPoliambulanza 病院、蘇生科医長、ジュゼッペ・ナタリーニ:
「とても苦しい状況です。通常はこの病院のICU病床は16です。現在は、50床あります。もう満杯状態です。」
14:18: 医師:「想像して見てください。あそこには手術台があったのです。」
14:20: 医師:「本当に大惨事です。」
14:22: 「同時に大勢の人が重篤化します。」
14:26: 記者:もうすでにコントロールできない状態になっていた時、政府はロンバルディア州全域を封鎖します。
14:31: コンテ首相:「2つの地域を設定しました。ロンバルディア地方と・・・」
14:42: 駅で、乗客:「今荷物を作ったところです(脱出のため)。」
14:43: コンテ首相:「いくつかの県」
14:45: 乗客:「本能的にすぐに決断しました。」
14:47: 「出発します。さもないと帰宅できなくなりますから。」
14:48: 「出発しようとしているところです。待っていたら帰宅できなくなります。」
14:52: 「家に帰れなくなるのではないかと恐れて。」
14:54: コンテ:「拘束力のある」
14:57: 「あらゆる移動を避ける」
15:02: 乗客:「難民になったみたいです。そう感じます。」
15:05: 記者:なぜ?
14:06: 「逃げているところです。」
15:08: コンテ:「指定地域から出ることも入ることも」
15:07: 乗客:「うまく行くように!」
15:38: 駅員:「もう席がありません。なんと言ったら良いか。」
15:40: 駅員:「立っている客が多すぎると電車は出発できません。」
15:52: 電車に乗れなかった人は、最後に出発する飛行機に乗ろうとします。
15:57: 「国内便は今晩までは出発します。」
15:59: 「今晩からは、出発する便はありません。」
16:04: 「全便キャンセルになりました。明日の便を予約していたのですが、キャンセルになりました。
わたしはスキー場で働いていましたが」
16:10: 「土曜日はスキーヤーがいつもより大勢来ていました。」
16:13: 「1メートル離れるどころではありませんでした。通り抜けることもできませんでした。まったく出来ません。
そこら中、人の海でした。イタリア人、ミラノからの人・・・」
16:20: 「そして昨日、すべての設備が閉鎖されました。人っ子一人いなくなりました。真っ暗でした。」
16:35: (長距離バス)「もう何もありません。毎日70台出ていたのですが。すべて廃止にしました。複雑な状況です。」
16:46: (タクシー):「止まっています。仕事がありません。」
16:48: (市内バス):「すべて止まっています」
16:50: (タクシー):「何もありません。」
16:58: ロンバルディア州が封鎖されてから48時間以内に、数万人の大群衆が北から南に向かって逃げました。」
17:06: 記者:検疫するよう言われましたか? 女性:「いいえ。」
17:08: 記者:どんな注意事項が出ましたか?
17:10: 「ばっか!」
17:11: 記者:同じ日ナポリの刑務所で暴動がおきました。
17:19: 女性:「受刑者たちは反抗しています。なぜなら全員一緒に死なそうとしているからです。」
17:23: 女性たち:「恩赦! 恩赦!」
17:25: 女性:「ネズミのように死ななければならないの?全員感染させて!」
17:27: 女性たち:「外に出せ!外に出せ!」
1730: アンティゴーネ協会会長、パトリツィオ・ゴンネッラ:「約4000人の受刑者が抗議に参加しています。
この40年間見たことのない怒りの爆発です」
17:44: 「他者に向けられた暴力による暴動ですが、自分自身にも向けられています。13人もの死者が出ました。」
17:52: (屋根の上から)「暴動だ!脱走だ!」
17:54: 記者:フォッジャ刑務所の暴動では72人の受刑者が脱走しました。
17:59: 「全部の棟から!全員出て行った!すべて壊してしまった。(泣き声)」
18:03: 刑務所警察労働組合、アルフォンゾ・グレーコ:「よい状況ではありませんでした。とりわけ同僚に関しては」
18:06: 「同僚!」
18:07: 「こちらに出て来い!彼らは武器室に向かったぞ!」
18:10: 「このタムタム連絡、伝達方法。受刑者たちはおそらく連絡方法を持っていたのでしょう。
27の刑務所を破壊したのです。27は少ない数ではないですよね。」
18:22: ゴンネッラ会長:「刑務所の外で求められていた”1メートルの距離を置く”ことは、中では不可能です。」
18:26: (屋根の上から)「自由を!」
18:29: 記者:イタリアが最も困難な時を過ごしている時、政界はサッカーを止めないよう求めます。
18:35: 同盟党議員、マッシモ・ガラヴァリア:「日曜日にはユーヴェントゥス・インテル戦があります。
無観客でするなんて考えられません。世界に向けて悲惨なメッセージを発信してしまうでしょう。」
18:43: 記者:セリエAの最終試合はユーヴェントゥス・インテル戦です。
信じがたい沈黙が支配する中、無観客で行なわれました。
(中継の模様)
18:54: 若者:「(観客が)いないので、サポーターの合唱を真似た音声を流しました。テクノロジーに助けてもらって。」
19:09: 取り壊しは終わりましたか?
19:12: (売店を取り壊し中の人)「この40年間、ここトリノで(スタジアムの)扉を閉めてする試合は見たことがありません。
不思議な感覚です。儲けはまったくありません。砂漠状態ですから。ご覧の通りです。」
19:21: 男性:「サッカーは人を呼び楽しませてくれます。いいものです。それを止めるなんて。
家で壁に囲まれているなんて出来ません。」
19:30: 記者:スタジアムの次は、美術館も閉まってしまいます。
19:39: ウッフィーツィ美術館艦長、シュミット:「芸術と文化は止まりません。すべての感染は避けるようにしますが、
美を避けることはできません。美術館が閉ざされていても。」
19:59: コンテ首相:「よく認識しています、わたしたちのすべての習慣を変えることの難しさを。」
20:09: 「レッドゾーンはなくなります。全イタリアが”保護地域”となります。措置法に署名しようとしています。」
20:26: 「次のことばで要約できるものです。“Io resto a casa (わたしは家にいる)”」
20:38: (スピーカー)「コロナウィルス抑止方法」に従ってください。全員が家にとどまってください。
20:45: 記者:個人の自由を束縛する措置の告知が出されると、市長たちはこぞって街の保安官に早変わりし始めます。
20:55: 男性:「今晩逮捕されるようにするぜ。」
20:58: 市長:「この街の市長ですから。(子供達に)今すぐに家に戻りなさい。言い訳は無しだ。」
21:02: 市長:「わたしの軍隊、わたしの市警察を使う。」
21:05: 男性:「みんな走ってる。このデリアの街ではみんな競歩選手になったのかい?」
21:09: 男性:「猫が(散歩用の)紐につながれてるのを見たよ!」
21:11: 男性:「ウィルスコロナ、頭にこういうの(角)が付いてるやつ。」
21:14: 男性:「顔に一発欲しいのか!」
21:16: 記者:措置が発効してから700万人が職務質問を受けました。
21:21: パトカー「メトロ16からオヴィディオへ。ご苦労様。」
21:25: 記者:そして10万人以上が訴えられました。
21:28: 警察:「すみませんシニョーラ、こちらに寄ってください。」
21:29: 「これは自己証明です。毎日の。」
21:32: 警官:「(道の)同じ側に一緒にいてはいけません。」「互いに離れないと。」
21:36: 警官(スーパーの前):「店は入店者数制限をして対処しています。」
21:45: パトカーの警官:「どこに行こうとしていらっしゃいますか?」 運転手「家に。」
21:46: 運転手:「チェックされていると感じます。こんな体験したことありません」
21:52: 運転手(女性):「このようなことをされるなんて悲しいです。
希望があるとしたら、自由の束縛に何か意義があれば、ですが。」
22:03: 記者:政府が国民全員に家にいるよう求めている一方で、そうしたいけれどできない人もいます。」
22:08: ホームレスの男性:「何度も警官に止められました。家にいてくださいと言って。
でもわたしには家もいる場所もないとか言うと、知らんぷりします」
22:19: 「これは矛盾していますよね」
22:22: 赤十字の見回り:「家にいるよう言われても、家がない人なのにね。」
22:23: 男性:「わたしたちはただでさえ困難な状況にあるのです。家はないし、歩き回ってもいけないし。」
22:29: 「誰も食べ物を持ってきてくれなかったら、どうすると思いますか?」
22:33: 赤十字の車の前:「もう誰もいないんです。」
22:35: 記者:イタリアの大都市の超現実的な静寂の中・・・人っ子一人いない夜の道に挑むのは
(バイク便の)ライダー達のみ。
22:42: ライダー(アフリカ系のフランス語を話す若者):「これが俺の仕事なんだ。」
22:45: 「誰もマスクをくれなかった。これは自分で買ったんだ。」
22:47: 「Glovo やDeliveroo(配達会社)はマスクを配ってくれるべきだ。でもくれないんだ。」
22:51: 「安全は自分で確保しなきゃ。彼らにとってはただのビジネスだから。」
22:54: 「リスクがあります。配達しているんですから。家々に入って。」
23:00: 記者:しかし人々に食料を配達している人たちが、自分の食べ物は赤十字に物乞いしなければなりません。
23:08: 「わたしたちに夕食を持ってきてくれたのは赤十字です。」
23:12: 「食べ物を配達したのにね。おかしくないですか?」
23:16: 「どうってことないさ。食べられればいいんだ。」
23:18: 記者(赤十字の女性に):ライダー(配達人)達もあなた方に食事を貰いに来るのですか?
23:21: 赤十字の男性:「はい、そうです。確かに。」
23:22: 「仕事で得る賃金では日々の生活費がカバーできないそうです。」
23:28: ライダー:「友よ、ありがとう。おやすみ。」
23:36: 記者:街が空っぽになる一方で、病院は満杯になって行きます。
23:41: クレモーナ病院、感染病棟主任、アンジェロ・パン:「毎日30人、40人、50人。Covidで病院を満杯にしました。
これは疫病の音です(救急車のサイレン)」
23:48: 「一日中救急車のサイレンが鳴り響いています。戦時中のように。悪夢です。」
23:51: 「1日に80人、90人にまで達しました。これはウィルス地震です。」
23:56: 「毎日振動が走るのです。数十人の患者が重篤なのです。」
23:59: ベルガモのヨハネ23世病院、救急主任、ロベルト・コセンティーニ:「Covid患者を450人入院させるまでに至りました」
24:03: 医師:「救急状態の継続です。常にこの状態が続いているのです。“医療カタストロフィー(大惨事、破局)”です。」
24:12: 記者:医療カタストロフィーにおいて、すべての患者を治療することが次第に難しくなります。
24:20: 医師:「呼吸疾患のマニュアルでは、酸素飽和度が92-90以下の場合は、患者は入院させなければなりません。」
24:27: ブレッシャのホームドクター(イタリアでは全国民が自分のホームドクターを持っていて、保健所に登録されている)、
ジェルマーノ・ベットンチェッリ:「わたしの患者の中には、酸素飽和度が80以下なのに入院させられずにいた人がいます。70になった時入院させることができました。それは生死の境目の状態です。」
24:43: 女性:「母は酸素飽和度が67%でした。すぐに救急車(112)を呼びました。そしたら順番待ちと言われました。
わたしたちより前に7人の待機患者がいたのです。
その間にも酸素ボンベは空になって行き、飽和度は急降下し続け、すでに54 になっていました。」
24:59: 「救急救命センターに着いたら、お母様には対症療法しか施せない状況です、と言われました。
年齢と重篤さを鑑みて、人工呼吸器を辞退しました。寄り添うことしか出来ませんでした。」
25:18: 医師:「一人の患者さんから呼吸器をはずさなければならない時、何をしようとしているのか分かっていただけると思いますが、とても辛いです。」
25:31: 救急車のスタッフ:「病院はすでに満杯状態で。」
25:33: 記者:現在では重症の患者だけを搬送しているのですか?
25:46: スタッフ:「コールセンターの指示によりますが、おおよそ、そんな状況です。」
25:40: コロナウィルス犠牲者の遺族(娘)、Chirine:「救急車(112) を呼びました。父が呼吸困難のようだと言いました。
そしたら、もっと重症の人がいると言われました。どうして電話だけでそれが分かるのでしょうか」
25:49: 「ドクターも、もっと早く病院に連れて来たら助かったかもしれないと言っていました。
誰も容体を見にきてくれなかったのです。誰も来ませんでした。」
25:55: 「父が亡くなった日は、10時間で11人が亡くなりました。」
26:05: 医師:「そこら中に病人がいました。」
26:09: ベルガモのヨハネ23世病院の救急救命センター主任医師、ロベルト・コセンティーニ:
「この地域でも救急車の手配が難しい状況が発生したことは考えられます」
25:16: ミラノのサン・パオロ病院の感染病科主任医師、A ダルミニオ・モンフォルテ:
「津波が押し寄せ、巻き込まれたよう、劇的な状況でした。外来全部を閉めなければなりませんでした。」
26:28: 「存在するすべての医療機器をモニター化しました。
2月22日から休みなしでずっと働き続けているので、わたしたちは疲労困憊しています。」
26:39: 「病床は足りないし、人員も、とくに看護師が不足しています。」
26:43: 「遅かれ早かれ誰かが病気になるでしょう。というか、すでに病気になっています。」
26:48: 記者:緊急状況になってから現在までに116人以上の医師が亡くなりました。
26:51: 医師:「ICUに初めて若者が来たのを見ました。」「2 番の青年?」「そう。」
27:00: 「何歳?」 「82年生まれ。医者よ。」
27:04: 「医者だって?」 「救急救命センターにいた医師。」
27:05: ICUの看護師、ルビーナ・ギデッリ:「入院して来ました。Covid陽性です。人工呼吸器に繋がれました。
彼も他の患者さんたちと同じ一連の治療法を受けています。」
27:12: パドヴァ大学感染病専門医アンドレーア・クリサンティ:「医療従事者たちは最前線にいます。
最初にこの感染に晒されました。大勢の患者に接していますが、おそらくウィルス陽性者とは知らずに診ていたのでしょう。ですから彼らが最初に犠牲を払ったこと自体には驚きません。」
27:27: 医師:「残念ながらここで働いていた医療従事者を一人失いました。」
27:30: 記者: 16.000人以上の医療従事者が病気になりました。
27:35: もっとも多く病気になったカテゴリーは、ホームドクターでした。第一線で、無防備な状態で闘わされていたのです。
27:42: ベルガモの医師会会長、グイド・マリノーニ:「途方もないことでした。わたしの恩師たちが亡くなりました。
高齢だったからではありません。戦死したのです。」
27:52: ベルガモ県アルビーノのホームドクター、マリオ・ソルリーニ:「ホームドクターたちは犠牲になりました。
なぜなら十分に守られていなかった、DPI(防護服)がなかったからです。あっても効果がないものだったりしました。」
28:01: アルビーノのホームドクター、エレナ・カルミナーティ:「自分で探し回り、マスクや手袋を売っている店を見つけました」
28:07: 記者: ご自分で?
28:08: 「そうです。」
28:10: アルビーノのホームドクター、アンナ・ガナッシーニ:
「1回使用の防護服も見つけました。往診するときにまだ使っています。3週間前からずっと。」
28:19: 医師:「自分を防護するための物が全然揃っていません。」
28:23: 記者:マスクは今いくつ持っていますか?
28:24: 医師:「今のところ2つです。」
28:26: 記者:しかし医師たちの援助要請は聞き入れられませんでした。
28:30: 「わたしたちは州に協力要請の文書を送りましたが、”ロンバルディア医師会を告訴すべきだ”との返事でした。
あの人たちは状況コントロール不可状態でした。」
28:40: 記者:この件では多くの死者が出ました。とりわけ医療従事者、医師たちの間で。
防護服がなかったからではありませんか?
28:48: ベルガモの健康保護協会会長、マッシモ・ジュッポーニ:「残念ながらすべてのカテゴリーで死者が出ました」
28:53: 記者:多くの医療従事者が、最初の時点から防護服を持っていなかったと言っています。
28:59: ジュッポーニ:「わたしどもは(ロンバルディア)州と(協力して)した仕事にまったく満足しています。
全面的に満足しています。」
29:03: 男性:「もうこれでやめてください。さもないと・・・。」「質問に答えたではありませんか。インタビューは20分。」
29:11: 記者:質問をしているところなのですが。
(男性、カメラを押す)
29:14: ジュッポーニ:「要求されていなかったでしょ。」
29:17: (手)(声):「みなさん、これで終わりにしてください。」
29:18: 記者: わたしたちに触らないでください。質問しているだけなのですから。
29:21: (声):「もう返事しました。」
29:21: 記者:でもこの質問には(お返事いただいていません)。
29:27: 記者:ロックダウンから1ヶ月、イタリアの正式な死者数は2万人を超えるでしょう。
そのうちの半分以上はロンバルディア州です。
19:37: (からの棺が置かれている)記者:全部今日必要なのですか? 男性:「はい。」
29:39: ベルガモの葬儀社の女性、ロベルタ・カプリーに:「残念ながら今日は25件の葬儀があります。午後だけで13件。」
29:47: ベルガモ市墓地担当評議員、ジャコモ・アンジェローニ:「現在のところ、例えば今日は30分間隔で埋葬しています。
まるで戦時中の数です。通常では、平均して8人から10人が亡くなっています。昨日は61人が亡くなりました。」
30:02: 記者:この緊急状況下において、ベルガモ県がもっとも高い犠牲を払いました。
30:06: 死者の棺を他の街に移動するため、軍が動員されました。
30:12: 女性:「数ではありません。みなそれぞれが人格を持った人たちなのです。
母であり、祖父母であり、お父さん、友人・・・」
30:24: 「病院に入院してからは、もう会うことはありません。」
30:29: 「臨終の時も会えません。別れのことばをかけることも。」
30:43: 「自宅隔離中の人から、棺が通るのを見たいので、自分の家のバルコニーの下を通ってくれるようにと頼まれました。彼らは家から出られないので。上から少なくともチャオと言えるように。少なくともそのくらいはまだして差し上げることができます・・・」
31:03: 記者:死者が増えてゆく中で、家で孤立している人々には苦悩と不安が増していきます。
31:12: そのような人たちを慰めようと、彼女のような、”救急事態の心理学者”がいます。
31:17: 「これが助けを求める人からのコールです。こんばんは。PSY電話センターです。こんばんは、シニョーラ・・・」
31:25: 「夫は亡くなりました。小さな娘がいます。彼女にどう伝えればよいか・・・。わたし自身も咳をしています。」
31:33: 「家に閉じこもっていたある家族の全員が高熱を出していました。誰からも返事がなく、世話しに行く人もいませんでした。解熱剤を呑むようにとか、抗生物質を呑むようにとか言われていました。救援なしに、家族は孤立したままに置かれていました。こう言っていました。”わたしたちはこのまま死を待っているのかな・・・”と。そのまま。」
31:59: 「おそらく亡くなったでしょう。そこにいて、死を待つしかなかったのです。」
32:07: 「もしあなた方にそのようなことが起きたら、どう感じると思いますか?」
32:09: 女性:「母のことをこのように覚えています。」
32:13: 女性:「母と電話で話していました。”マーリ、具合が悪いの、マーリ、具合が悪いの”と、泣きながら言っていました。(・・・) そのまま、電話で話している最中に、わたしの母は亡くなりました。」
32:30: 「母にはPCR検査はされませんでした。」
32:32: 記者:正式推定死者数に含まれていない数千の死者がいます。自宅で息を引き取った人、PCR検査を受けないまま。
32:42: 「家で病気になり、悪化し、PCRなしで自宅で残念ながら死亡する人は、正式にはコロナウィルスの正式犠牲者と認められません。でもコロナ犠牲者なのです。正式な発表と現実とは乖離があります。」
33:01: パドヴァ大学感染病専門医アンドレーア・クリサンティ:「理想では、このタイプの症状がある人すべてにPCRをすべきです。そうしないのはおそらく十分な手段がないからでしょう、現在のところ。」
33:15: ロンバルディア州副知事、ファブリツィオ・サーラ:「わたしたちは毎日5000件のPCR検査をしています。
問題は試薬の生産量が十分でないことです。他の州との関連でこちらに回ってくるからです。」
33:28: ブレッシャ市長、エミリオ・デルボーノ:「コロナ死者の正式発表数はPCR検査をした人々の数です。
自宅で亡くなった人たちも居るはずだし、高齢者施設で亡くなった人も。」
33:40: ミラノのRSU ピオ・アルベルゴ・トリヴルツィオ (1766年に設立された高齢者施設)、ピエトロ・ラグラッサ:
「ど真ん中で働いているわたしたちに言わせてもらうと、教会にこれほどたくさんの棺が置かれているのを見たことがありません。」
33:49: 「わたしたちの施設だけで27の棺を教会に運びました。これほどたくさんの数を記録したことがありません。
すごい速度で死者が出るのです。1日に5人、7人。」
34:01: 「翌日には6人…」
34:04: 「日誌にはCovidとは記されません。PCR検査がなされていないので、そのようには書けないのです。
正式に計上できないのです。」
34:10: 「死因は肺炎、間質性気管支炎となります。スタッフの間にウィルスが入り込んだのです。最初の頃はマスクも配給されませんでした。くれませんでした。使ってはいけないと言われ続けました。さもないと患者さんたちを怖れさせてしまうから、とのことでした。」
34:24: 「真剣に捉えていなかったのです。問題を軽視していたのです。それが大量死につながる鎖の輪となりました。」
34:35: 記者:ベルガモだけで、高齢者施設では1600人の老人が亡くなりました。
34:40: ベルガモのFP(Funzione Pubblica) CGIL(労働組合)事務局長、ロベルト・ロッシ:「ベルガモの「高齢者施設については、”悲劇”でした。他にことばが見つかりません。RSA (Residenza Sanitaria Assitenziale per anziani 自立生活が出来ない高齢者援助の施設)では日中の総合センターを閉めたところもあります。ATS(Agenzia tutela della salute 州管轄の保健所)はそのようなセンターは開いておかなければならないと明言しました。
同じようなケースが障害者センターでも起きました。」
35:02: 「毎日犠牲者の数を数えるなんて、恐ろしいことです。死者が多すぎます。
死者数を見るのに、知人がもういなくなったことを見る(新聞の死亡記事)のに、疲れました。」
35:12: 医師たち:「強制収容所を思い起こさせるような患者さんたちがいました。」「70年前のように。」
「人間性を目の当たりにしました。」「本には書いてない歴史です。」「今はもういません。全てが失われます。」
35:26: 「”ここ”から出るのは容易ではないでしょう。消えることのない傷跡を残すでしょう。」
35:33: 「個人レベル、心のレベルでも・・・。死者を葬ることだけでなく、具体的な生活の面でも。店を持っている人、職を持っている人、企業、誰にとっても、再びスタートラインに立つのはすごく厳しいと思います。」
35:47: 「時々このことを思います。出来なかったあの挨拶(最後の別れのことば)。」
35:53: 「皆で一緒に、あの(この世から消えてしまった)顔を思い出すことができる、素晴らしい時は来るでしょうか。
彼らの姿、繋いだ友情、その人たちは市民社会の中でなくてはならない存在だったのです。」
36:12: ベルガモの赤十字社、ダーリオ・リーヴァ:「ゴーグルや防護服を身にまとった同僚たちが戻ってくると、
状況はかなり厳しいのだと気づきます。
防護服を脱ぐと、顔があらわれ、話したりするのです。それ以外には何も見ないでいいのです。」
36:31: 「118(救急出動隊)の若者が亡くなりました。そういう時、考え始めます・・・。
だって知人の118隊員は子供を持つ父親です。わたしも、大勢の仲間同様、父親です。」
36:43: 「幸いなことにわたしたちは皆元気です。病気になる時間がありません。そうだろ、みんな?」
36:53: 「ベルガモのことわざにこういうのがあります。”Berghem mola mia” すなわち、”Bergamo, non
mollare (ベルガモ、諦めるな)”という意味です。
わたしたちは諦めません(手綱を手放しません)。わたしたちはとことん諦めない奴らなのです。
37:00: 「一瞬、泣けてきちゃいます。ちょっとあっちに行ってもいいですか、我慢できないので。(記者に)ちょっと移動していいですか?」 記者:どうぞ。 「ありがとう」
37:07: ベルガモの赤十字社局長、マウリツィオ・ボノーミ:「二度とない体験をしました。
雪崩のような。心に沁みる。絶対に(この体験は)わたしたちを変えるでしょう。未来へのアプローチの仕方も。
孫たちに語り継ぎます・・・。 (記者に、インタビューは)これでいいですか?」
記者:ありがとうございます。
37:37: 記者:わたしたちは抱き合うことをやめました。クゥアランティー(検疫、隔離)に入りました。
(横断幕:「心から感謝」)
37:42: 医師:「こちらにどうぞ。」
37:44: 記者:ICUの人工呼吸器にしがみつきました。
37:48: 医師:「呼吸困難」「車椅子を!」
37:53: 記者:愛している人たちの別れのことばもなく。
38:00: しかし今、しなければならない質問は:
38:05: 救急車のスタッフ:「(あなたたちがしてくれていることにグラーツィエ!!と書かれた紙を見せて)
一人の少女がバルコニーから投げてくれました。」
38:11: 記者:将来、
38:16: これらすべてが終わったら、
38:19: わたしたちは何かを学んだであろうか?(字幕)