2011年12月29日木曜日

飛ぶように売れたイタリア国債(BOT)

27日に発行された6ヶ月物のBOT(国債)(販売額90億ユーロ、利率3.25%)の入札には、オファーの2倍の買い手が押し寄せた。(11月発行国債の利率は6.50%)。
12月、モンティ政権は政策実行の「段階2」に入った。国債の売れ行きに満足した首相は、「イタリア経済は徐々に安全域に入り、成長路線を歩む可能性が見えてきた」と語る。現在、イタリアの諸政党の合言葉は:成長、平等、発展。

2011年12月27日火曜日

ジャーナリスト、ジョルジョ・ボッカ (GIORGIO BOCCA)死す。

真実を語る勇気をもたない者はジャーナリストと呼ばれてはならない。

1920/8/28 クネオ ‐ 2011/12/25 ミラノ
「権力に仕えたことのない」生粋のジャーナリストで作家のジョルジョ・ボッカが12月25日、ミラノの自宅で亡くなった(91才)。1930年代中ごろ15才で地方紙のために記事を書き始め、その後クネオの週刊誌「La Provincia Grande(偉大な地方)」にも記事を載せるようになった。第二次世界大戦中はアルペン兵として入隊、停戦後はパルチザンのグループ「Giustizia e Libertà(正義と自由)」を結成し、ファシズムと戦った。「Giustizia e Libertà 誌」に記事を書くことでジャーナリスト活動を再開。「Gazzetta del Popolo」、「Europeo」、「Il Giorno」にも執筆し、1976年には「la Repubblica紙」の創立メンバーとなった。

2010年12月、テレビ番組に出演したボッカ(90才)は語った。
「RAI (イタリア国営放送)のジャーナリストたちは真実を語りたいのだが、語れない。枷をはめられている。ベルルスコーニに逆らうとRAIの会長職も追われる(例:マージ)」「超人気番組をもつジャーナリストは、コマーシャルも付くし放送局に金が入るので、報道番組を続けることができる」「真実を語る勇気をもたない者はジャーナリストと呼ばれてはならない。そして真実には左(左翼)も右(右翼)もない」

2011年12月26日月曜日

イタリア人の正月休み

2011-2012年の短い冬休みをイタリア人はどのように過ごすのでしょうか。
数字で見ると、約700万人が旅行し(前年比-30万人)、その内89% は国内旅行 (+8%)で、11%は海外旅行。総出費は35.5億ユーロになると予想されています。
行先としては、山岳地方(スキー)が48.8%(+1.2%)、海15,8% (-3.8%)、芸術都市10.9%(+2.6%)。宿泊するのは、ホテルが31.9%(-5.2%)、友人の家が31%(+3.5%)、別荘が9.2%(-1.6%)。
働き者で節約家が多いイタリアでは、手ごろな田舎の家をseconda casa(週末の家)として持っている人が案外多いです。自然やアウトドア生活が好きな活動的な人たちは、そこで草刈したり、バーベキューしたり、友人と宴を楽しんだりして、大いに「働いて」くたくたになって帰宅します。夕方は道路も渋滞するので、夜遅く我が家にたどり着きます。子供たちは車の中ですやすやと眠っています。

2011年12月22日木曜日

Kim Jong-il 김정일 金正日 キム・ジョンイル(1941-2011)急逝

TG1(12月19日/8:00)
公表から4時間後のRAIニュースでは、金正日の死はサッカー賭博と政治・経済のニュースに次いで3つ目のニュースとして簡潔に報じられた。
葬儀には外国の要人は招かれない予定。韓国では最高レベルの非常警戒体制がとられている。

2011年12月21日水曜日

イッポーリト・ニエーヴォ(1831-1861)を主人公とした小説、『島と夢』

『あるイタリア人の告白』(1857-1868)の著者イッポーリト・ニエーヴォ(1831-1861)を主人公にしたPaolo Ruffilli著『L’isola e il sogno 島と夢』が出版された。

使命を帯び、パレルモからナポリに向けて出航したイッポーリト・ニエーヴォ。
嵐の中、廃船となることが決まっていたその船はソレント沖で沈没し、ニエーヴォの命も失われた。
ガリバルディにあこがれ、シチリア島に渡った29歳の青年だった。
ルッフィッリの『島と夢』は、小さな詩で終わる。
La luce si fa netta prima di essere offuscata
Il sole immerse infine il disco
I pesci si slanciavano saltando fuori come tante frecce d’argento
Scintillavano prima di tornare a inabissarsi
闇が訪れるまえ、光はより鮮明になる。
やがて太陽はその円盤を沈め、
魚たちはまるで銀矢のように跳ね上がる。
光り輝いていた。
海底に消えてゆくまえに…。

2011年12月20日火曜日

85歳の年金生活者がおもちゃのピストルで強盗(未遂)

12月14日、クネオ県の田舎の郵便局にピストルを手に老人が強盗に入った。事務員たちは以前何度も物乞いに来たことのある顔見知りの男だったので驚かず、すぐにカラビニエーリに通報した。それを見て逃げた「強盗」は次にクネオ市街の郵便局に押し入ったが、やはり失敗。追跡中だったカラビニエーリに逮捕された。その後はカラビニエーリの兵舎食堂で朝食と昼食をご馳走になった。
老人は「絶望している。年金だけじゃ食べていけないんだ・・・」と言っている。

2011年12月19日月曜日

クインティーノ・セッラ、イタリア建国時(150年前)の財務大臣

Quintino Sella scienziato e statista per l’Unità d’Italia
「クインティーノ・セッラ。イタリア統一のために働いた科学者、国政の舵を取った政治家」という題で、ローマのリンチェイ国立アカデミーで2日間のシンポジウムが開催された。
セッラは150年前、イタリアが国家として誕生したときの財務大臣(1862年就任)。科学者(水力学、鉱物学)であり、アルピニストでもあった彼は、革新的な大臣として手腕を振い、財政赤字から脱却するために製粉税など税制改革を断行し、当時、富裕層だけが所有していた国債に高い税率を課す一方で、経費削減にも力を入れたため「節約大臣」とも呼ばれた。
しかし、「いかなる場合にも文化事業だけには財源を確保しなければならない。文化によってのみローマは世界に対して自らの使命を果たすことができる」と文化の振興に努めた。

2011年12月5日月曜日

Paura nucleare 核への恐れ

フクシマでの「被爆による重い健康被害の発覚」にともない、イタリアでも自国周辺にある27基の原発について不安がつのっている。イタリアから最も近いところにあるのは、トリエステから西に130キロ、クルシュコ(スロベニア)のリンゴ園の真ん中に1981年に建設された原子力発電所。この施設の所長によれば、「将来また故障が起きないという保証はだれもできない。しかし、健康被害はこれからも起きないだろう。過去には30件くらいの故障があったが、放射能が外部に漏れるようなことはなかった」「技術革新や安全のために、当社は年間3,000万ユーロを費やしている」。

一方、グリーンピースの意見は:
「クルシュコに近いザグレブ(Zagrab)から30キロの場所に2基目の建設が予定されていたが、幸いなことにこの計画は中止された。ザグレブの町はあやうく両側を原発に挟まれるところだった。最近の故障についても原因は解明されていない。核廃棄物の恒久的な保管場所はなく、敷地内に保管しており、2011年末には満杯になる。2023年には寿命により廃炉になる予定で、それがクリーンで安全な再生可能エネルギーに転換する契機となるだろう。数十億ユーロもする原発を造らないで、その資金を他のエネルギー源の開発に向け、より賢いエネルギーの使い方をまなぶべきだ」。

27基のなかで一番古いのは1969年に完成したスイスのベズナウ発電所。MOX燃料棒事故を起している。スイス政府は2034年までに全5基を廃炉にすると決定。ロイトハルト環境エネルギー相:「フクシマが今後数十年のスイスのエネルギー政策を変えた」。これからは、500ヶ所以上ある水力発電所の改修・強化、太陽光・風力など再生可能エネルギーの導入により、原発分(39%)を補う。
一方ドイツは、2022年に「ゼロ原発国家」となる道を歩み始めた。
日本も、政府が原発を再稼動させなければ、2012年(来年)にはドイツに先駆けて「原発ゼロ」先進国になることができる。
岸内閣の時代に原発事故の被害想定額を試算したところ、「国家予算の2倍」という結論に達した。政府はそれを国民に知らせず数十年間隠しつづけた。今2011年、やっとそれを国(政権交代後2年)が公表した。数十万人が被曝するという大きな悲劇、現在進行中の悲劇のなかで。