東日本・三重災害被災者との集まり
ベルサール半蔵門
2019年11月25日、東京
ベルサール半蔵門
2019年11月25日、東京
Meeting with
the victims of Triple Disaster【公式】
高校生の鴨下全生(かもした・まつき)さんのスピーチ
親愛なるパパ(教皇)様
でも父は、母に僕らを託して福島に戻りました。父は教師で僕らの他にも守るべき生徒たちがいたからです。母は僕と3歳の弟を連れて慣れぬ地を転々としながら避難を続けました。弟は寂しさで布団の中で泣きました。僕は避難先でいじめにも合い、死にたいと思うほどつらい日々が続きました。
やがて父も心と体がぼろぼろになり、仕事を続けられなくなりました。それでも、避難できた僕らはまだ幸せなのだと思います。国は避難住宅の提供さえも打ち切りました。僕は必死に残留しているけれど、多くの人がやむなく汚染した土地に帰って行きました。でも広く東日本いったいに降り注いだ放射性物質は8年経った今も放射線を放っています。
汚染された大地や森が元通りになるには、僕の寿命の何倍もの歳月が必要です。だから、そこで生きていく僕たちに大人たちは汚染も被ばくも、これから起きる可能性のある被害も、隠さず伝える責任があると思います。嘘を付いたまま、認めないまま先に死なないでほしいのです。
原発は国策です。そのため、それを維持したい政府の思惑にそって賠償額や避難区域の線引きが決められ、被災者の間で分断が生じました。傷付いた人同士が、互いに隣人を憎み合うように仕向けられてしまいました。僕たちの苦しみはとても伝えきれません。だからパパさま、どうか共に祈ってください。
僕たちが互いの痛みに気付き、再び隣人を愛せるように。
残酷な現実であっても目を背けない勇気が与えられるように。
力を持つ人たちに悔い改めの勇気が与えられるように。
皆でこの被害を乗り越えていけるように。
どうか共に祈ってください。
***********
教皇フランシスコのメッセージ
愛する友人の皆さん。
皆さんとのこの集いは、わたしの日本訪問中の大切なひとときです。アルゼンチンの音楽で迎えてくださりありがとうございます。とくに敏子さん、徳雲さん、全生さんに感謝します。それぞれのこれまでの歩みをわたしたちと分かち合ってくださり、ありがとうございます。この3名のかた、そして皆さんは、三重災害、つまり地震、津波、原発事故によって言い表せないほどの本当に辛い思いをされた、すべての人を代表しておられます。災害は、岩手県、宮城県、福島県だけでなく、日本全土と全国民に影響を及ぼしました。ご自分のことばと姿で、大勢の人が被った悲しみと痛みを、そして、よりよい未来に広がる希望を伝えてくださり、ありがとうございます。全生さんはご自分の証言を終える際に、わたしに皆さんの祈りに加わってほしいと招いてくださいました。しばらく沈黙の時間を取り、最初のことばとして、1万8千人にも上る亡くなられたかた、ご遺族、いまだ行方の分からないかたのために祈りましょう。わたしたちを一つにし、希望をもって前を見る勇気を与えてくれる祈りをしましょう。
地方自治体、諸団体、人々の尽力にも感謝します。皆さんは、災害地域の復興に取り組み、また、現在も仮設住宅に避難して自宅に帰ることができずにいる、5万以上もの人の境遇改善に努めておられます。
とくに感謝したいのは、敏子さんが的確に指摘されたように、日本だけでなく世界中の多くの人が、災害直後に迅速に動いてくれたことです。祈りと物資や財政援助で、被災者を支えてくれました。そのような行動は、時間が経てばなくなるものや、最初の衝撃が薄れれば衰えていくものであってはなりません。むしろ、長く継続させなければなりません。全生さんの指摘についていえば、被災地の住人の中には、今はもう忘れられてしまったと感じている人もいます。汚染された田畑や森林、放射線の長期的な影響などで、継続的な問題を突きつけられている人も少なくありません。
この集いが、集まった全員によって、この惨劇を被った被災者のかたがたが引き続き多くの必要な助けを得るための、心あるすべての人に訴える呼びかけとなりますように。
食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません。生活再建を果たすには最低限必要なものがあり、そのために地域コミュニティの支援と援助を受ける必要があるのです。一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です。敏子さんは津波で家を失いましたが、いのちが助かったことをありがたいと思い、助け合うために団結する人を見て希望をもっていると話してくれました。三重災害から8年、日本は、連帯し、根気強く、粘り強く、不屈さをもって、一致団結できる人々であることを示してきました。完全な復興まで先は長いかもしれません。しかし、助け合い、頼り合うために一致できるこの国の人々の魂をもってすれば、必ず果たすことができます。敏子さんがいわれたように、何もしなければ結果はゼロですが、一歩踏み出せば一歩前に進みます。ですから皆さん、毎日少しずつでも、前に進んでいくよう励まします。連帯と献身に基づく未来を築くための一歩です。だれかのため、皆さんのため、皆さんの子どもや孫のため、そしてこれから生まれてくる次の世代のためです。
徳雲さんは、わたしたちに影響する別の重要な問題に、どのようにこたえうるかを尋ねられました。ご存じのとおり、戦争、難民、食料、経済格差、環境問題は、切り離して判断したり対処したりはできません。今日、問題を強大なネットワークの一部とみなすことなく、個々別々に扱えると考えるのは大きな間違いです。的確に指摘してくださったように、わたしたちはこの地球の一部であり、環境の一部です。究極的には、すべてが互いに絡み合っているからです。思うに最初の一歩は、天然資源の使用に関して、そしてとくに将来のエネルギー源に関して、勇気ある重大な決断をすることです。無関心と闘う力のある文化を作っていくために、働き、歩むことです。わたしたちにもっとも影響する悪の一つは、無関心の文化です。家族の一人が苦しめば家族全員がともに苦しむという自覚をもてるよう、力を合わせることが急務です。課題と解決を包括的に受け止め、きずなという知恵が培われないかぎり、互いの交わりはかないません。わたしたちは、互いにつながっているのです。
この意味で特別に思い起こしたいのが、福島第一原子力発電所の事故とその余波です。科学的・医学的な懸念に加えて、社会構造を回復するという、途方もない作業もあります。地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されません。これが意味するのは、わたしの兄弟である日本の司教たちがいみじくも指摘した、原子力の継続的な使用に対する懸念であり、司教たちは原子力発電所の廃止を求めました。
この時代は、技術の進歩を人間の進歩の尺度にしたいという誘惑を受けています。進歩と発展のこの「技術主義(テクノクラティックパラダイム)」は、人々の生活と社会の仕組みを形成します。そしてそれは、しばしばわたしたちの社会のあらゆる領域に影響を与える還元主義につながります(回勅『ラウダート・シ』101-114参照)。したがって、このようなときには、立ち止まり、じっくり考え、振り返ってみることが大切です。わたしたちは何者なのか、そしてできればより批判的に、どのような者になりたいのかを省みるのが大事なのです。わたしたちの後に生まれる人々に、どのような世界を残したいですか。何を遺産としたいですか。お年寄りの知恵と経験が、若い人の熱意とやる気とともに、異なるまなざしを培う助けとなってくれます。いのちという贈り物を尊ぶ助けとなるまなざしです。さらに、ユニークで、多民族、多文化である人類家族として、わたしたちの兄弟姉妹との連帯を培うことも助けてくれるのです。
わたしたちの共通の家の未来について考えるなら、ただただ利己的な決断は下せないこと、わたしたちには未来の世代に対して大きな責任があることに気づかなければなりません。その意味でわたしたちは、控えめで慎ましい生き方を選択することが求められています。それは、向き合うべき緊急事態に気づく生き方です。敏子さん、徳雲さん、全生さんは、未来のための新たな道を見つける必要をわたしたちに思い出させてくれました。一人ひとりを大切に、そして自然界を大切にする心に基づく道です。この道において「わたしたちは皆、神の道具として、被造界を世話するために、おのおの自身の文化や経験、自発性や才能に応じた協力ができるのです」(同14)。
愛する兄弟姉妹の皆さん。三重災害後の復興と再建の継続的な仕事においては、多くの手と多くの心を、あたかも一つであるかのように一致させなければなりません。こうして、苦しむ被災者は助けを得て、自分たちが忘れられていないと知るはずです。多くの人が、実際に、確実に、被災者の痛みをともに担っていると、兄弟として助けるために手を差し伸べ続けると知るでしょう。あらためて、大げさにではなく飾らない姿勢で、被災者の重荷を和らげようと尽くしたすべての皆さんを称え、感謝を申し上げます。そのような思いやりが、すべての人が未来に希望と安定と安心を得るための、歩むべき道のりとなりますように。
ここにお集まりいただきましたことに、あらためて感謝いたします。わたしのために祈ってください。神様があなたと、あなたの愛する人すべてに、知恵と力と平和という祝福を与えてくださいますように。ありがとうございました。
地方自治体、諸団体、人々の尽力にも感謝します。皆さんは、災害地域の復興に取り組み、また、現在も仮設住宅に避難して自宅に帰ることができずにいる、5万以上もの人の境遇改善に努めておられます。
とくに感謝したいのは、敏子さんが的確に指摘されたように、日本だけでなく世界中の多くの人が、災害直後に迅速に動いてくれたことです。祈りと物資や財政援助で、被災者を支えてくれました。そのような行動は、時間が経てばなくなるものや、最初の衝撃が薄れれば衰えていくものであってはなりません。むしろ、長く継続させなければなりません。全生さんの指摘についていえば、被災地の住人の中には、今はもう忘れられてしまったと感じている人もいます。汚染された田畑や森林、放射線の長期的な影響などで、継続的な問題を突きつけられている人も少なくありません。
この集いが、集まった全員によって、この惨劇を被った被災者のかたがたが引き続き多くの必要な助けを得るための、心あるすべての人に訴える呼びかけとなりますように。
食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません。生活再建を果たすには最低限必要なものがあり、そのために地域コミュニティの支援と援助を受ける必要があるのです。一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です。敏子さんは津波で家を失いましたが、いのちが助かったことをありがたいと思い、助け合うために団結する人を見て希望をもっていると話してくれました。三重災害から8年、日本は、連帯し、根気強く、粘り強く、不屈さをもって、一致団結できる人々であることを示してきました。完全な復興まで先は長いかもしれません。しかし、助け合い、頼り合うために一致できるこの国の人々の魂をもってすれば、必ず果たすことができます。敏子さんがいわれたように、何もしなければ結果はゼロですが、一歩踏み出せば一歩前に進みます。ですから皆さん、毎日少しずつでも、前に進んでいくよう励まします。連帯と献身に基づく未来を築くための一歩です。だれかのため、皆さんのため、皆さんの子どもや孫のため、そしてこれから生まれてくる次の世代のためです。
徳雲さんは、わたしたちに影響する別の重要な問題に、どのようにこたえうるかを尋ねられました。ご存じのとおり、戦争、難民、食料、経済格差、環境問題は、切り離して判断したり対処したりはできません。今日、問題を強大なネットワークの一部とみなすことなく、個々別々に扱えると考えるのは大きな間違いです。的確に指摘してくださったように、わたしたちはこの地球の一部であり、環境の一部です。究極的には、すべてが互いに絡み合っているからです。思うに最初の一歩は、天然資源の使用に関して、そしてとくに将来のエネルギー源に関して、勇気ある重大な決断をすることです。無関心と闘う力のある文化を作っていくために、働き、歩むことです。わたしたちにもっとも影響する悪の一つは、無関心の文化です。家族の一人が苦しめば家族全員がともに苦しむという自覚をもてるよう、力を合わせることが急務です。課題と解決を包括的に受け止め、きずなという知恵が培われないかぎり、互いの交わりはかないません。わたしたちは、互いにつながっているのです。
この意味で特別に思い起こしたいのが、福島第一原子力発電所の事故とその余波です。科学的・医学的な懸念に加えて、社会構造を回復するという、途方もない作業もあります。地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されません。これが意味するのは、わたしの兄弟である日本の司教たちがいみじくも指摘した、原子力の継続的な使用に対する懸念であり、司教たちは原子力発電所の廃止を求めました。
この時代は、技術の進歩を人間の進歩の尺度にしたいという誘惑を受けています。進歩と発展のこの「技術主義(テクノクラティックパラダイム)」は、人々の生活と社会の仕組みを形成します。そしてそれは、しばしばわたしたちの社会のあらゆる領域に影響を与える還元主義につながります(回勅『ラウダート・シ』101-114参照)。したがって、このようなときには、立ち止まり、じっくり考え、振り返ってみることが大切です。わたしたちは何者なのか、そしてできればより批判的に、どのような者になりたいのかを省みるのが大事なのです。わたしたちの後に生まれる人々に、どのような世界を残したいですか。何を遺産としたいですか。お年寄りの知恵と経験が、若い人の熱意とやる気とともに、異なるまなざしを培う助けとなってくれます。いのちという贈り物を尊ぶ助けとなるまなざしです。さらに、ユニークで、多民族、多文化である人類家族として、わたしたちの兄弟姉妹との連帯を培うことも助けてくれるのです。
わたしたちの共通の家の未来について考えるなら、ただただ利己的な決断は下せないこと、わたしたちには未来の世代に対して大きな責任があることに気づかなければなりません。その意味でわたしたちは、控えめで慎ましい生き方を選択することが求められています。それは、向き合うべき緊急事態に気づく生き方です。敏子さん、徳雲さん、全生さんは、未来のための新たな道を見つける必要をわたしたちに思い出させてくれました。一人ひとりを大切に、そして自然界を大切にする心に基づく道です。この道において「わたしたちは皆、神の道具として、被造界を世話するために、おのおの自身の文化や経験、自発性や才能に応じた協力ができるのです」(同14)。
愛する兄弟姉妹の皆さん。三重災害後の復興と再建の継続的な仕事においては、多くの手と多くの心を、あたかも一つであるかのように一致させなければなりません。こうして、苦しむ被災者は助けを得て、自分たちが忘れられていないと知るはずです。多くの人が、実際に、確実に、被災者の痛みをともに担っていると、兄弟として助けるために手を差し伸べ続けると知るでしょう。あらためて、大げさにではなく飾らない姿勢で、被災者の重荷を和らげようと尽くしたすべての皆さんを称え、感謝を申し上げます。そのような思いやりが、すべての人が未来に希望と安定と安心を得るための、歩むべき道のりとなりますように。
ここにお集まりいただきましたことに、あらためて感謝いたします。わたしのために祈ってください。神様があなたと、あなたの愛する人すべてに、知恵と力と平和という祝福を与えてくださいますように。ありがとうございました。
分断の痛み 被害者同士の争いを越えよう
教皇フランシスコの前でのスピーチを終えて。 鴨下全生(まつき)さん、
急性胃炎か胃潰瘍で39度の熱が出て、生れてはじめての点滴を受けていました。パパ様に会って緊張したからではないです。謁見は2度目でしたし、パパ様はやさしくて、緊張したけどストレスはありませんでした。ストレスを受けていたのは被災者との集いが終わった直後、パパ様と話して精神的に無防備になっていた時に、会場に来ていた被災者の方から、「さっきのスピーチの、それでも避難できた僕らはまだ幸せなのだと思います、とはどういう意味だ。僕はずっと福島に住んでいる。その俺たちに対して、それはどういう意味だ!」と詰め寄られ、気が動転してうまくこたえられず、そのまま数分間詰め寄られていたことで一気に胃を悪くしてしまいました。
冷静に考えられれば、言うべきはまず「僕の話を聞いてくれてありがとう」。そしてその人を苦しめているものが何なのかを聞くべきでした。山本太郎さんだったらその場で返したんでしょうが、やっぱりまだまだそこはできないのだな、とあらためて感じました。ただ、この話はまさに僕が伝えたかった、福島原発事故で起きた分断が具体化されたものなのです。傷ついた人同士がさらにお互いを傷つけあってしまい、力を消耗してしまう。傷がない人には何でもないことばが、傷ついた人にはとても、すごく刺さってしまう。それを懼れて被害者が被害を口にできなくなってしまい、どんどん内側から被害の風化が進んでしまう。これを何とかしたいのです。
山本太郎さんも分断のことを泣きながら語っています。傷ついた人が、傷ついた人同士で石を投げ合っているのが今の福島です。
原発さえなければなかった分断の痛み。これを乗り越えないと裁判も勝てないし、被害者も救済されず、また原発が動き出して、次の被害が世界のどこかで起こってしまいます。
どうか共に祈ってください。福島だけでなく、誤った政治によって傷を負ったすべての人たちが、痛みを伴う分断を乗り越えられるように。「自己責任」と人を切り捨てることが無いように。そうしたら真の平和に近づくことができると思います。
ありがとうございました。