2015年6月2日火曜日

「21世紀の貧困問題」を考える手だて――アガンベン『いと高き貧しさ』



 ジョルジョ・アガンベンの哲学書や美術書の難解さに辟易・撃沈した人でも(私もその一人だが)、 この本ならどうにか読み通せるのではとお奨めしたいのが、『いと高き貧しさ』(上村忠男・太田綾子訳、2014年、みすず書房)。
 物の所有権を拒み、使用だけを行おうとする共同体という視点から、アガンベンはフランシスコ会を取りあげた。そして、フランシスコ会のそうした先鋭的思想が、法理論的には、バチカン側の強靭かつ精緻な論理の前に敗れ去る経緯を、アガンベンは会則を中心にテクストを丹念に読み解く作業の中で浮き彫りにしていく。
 思えば、『21世紀の資本』のトマ・ピケティが膨大な統計資料を駆使して提起したテーマ「資本主義と経済格差」にしても、実効性のある具体的な政策提言として注目が集まる「ベーシック・インカム」論にしても、その根底にある課題は「21世紀の貧困」。
 今度のアガンベンは、そうした課題に新たな角度から光を当てるための手だての一つとなるかもしれない。

アメリカに生まれ、ローマで暮らした現代美術の巨匠 サイ・トゥオンブリー展、日本で初開催



 世界のオークションの高額落札美術品ランキング、その2014年ベスト10に名を連ねるアーチストを挙げてみる。アンディ・ウォーホル(『トリプル・エルビス』約98億円、『フォー・マロンズ』約83億円)、フランシス・ベーコン(同じく2点)、サイ・トゥオンブリー(『無題』約83億円)、マーク・ロスコ、エドゥアール・マネ、アルベルト・ジャコメッティ、バーネット・ニューマン。
 ここで「サイ・トゥオンブリーって誰?」と思われた方にぜひ足を運んでいただきたいのが、5月23日(土)から8月30日(日)まで、東京品川の原美術館で開催されている日本初の個展。
 高松宮殿下記念世界文化賞(1996年)やヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞(2001年)を受賞したときも、2011年に亡くなったときでさえも、日本での関心は今ひとつだっただけに、長年のファンにとっては、ようやくここまで、との思いが深い。
 アメリカ、ヴァージニア州で生まれ、後半生をローマで暮らしたサイ・トゥオンブリー(Cy Twombly, 1928年~2011年)は、抽象表現主義の流れを汲む、20世紀美術界で最も重要なアーチストの一人…ではあるのだが……拙宅に飾った彼の複製画に対する家族・知人らの反応を見るかぎり、「私でも書ける」、「子供の悪戯書き」、「トイレの落書き」といった評価以上のものが返ってきたためしがない。実際、トゥオンブリー自身、そうした世間の反応に対して、「私が描く線はたしかに子供のようだが(childlike)、子供っぽくはない(childish)。子供の線を描き出すのに必要なあのクオリティーを身につけるのは至難の業だ。それは感じ取るべきものだから」と答えている。
 トゥオンブリーが最初にイタリアを訪れたのは、ラウシェンバーグと共に世界各地を旅した1952年のこと。1959年にはタティアナ・フランケッティと結婚。1960年、イタリアに移住し、2011年に83歳で亡くなるまでローマを生活の拠点とした。
 ちなみにタティアナの祖父、ジョルジョ・フランケッティ男爵は、私財を投じてヴェネツィアのカ・ドーロの修復を行うなど(現在もカ・ドーロ内にフランケッティ美術館として名を残す)、20世紀イタリアの文化財保護事業に計り知れない貢献をなしたコレクター/パトロン。  
 いたずらっ子版ジャクソン・ポロックとでも言うべきスタイルを確立したサイ・トゥオンブリーの作風は、イタリア生活の中で、ホメロスやキーツ、マラルメなどさまざまな文学テクストの引用を織り込むことで、より繊細精緻に重層化していった。ジョルジョ・アガンベンはトゥオンブリーの作品を「落下する美」と評しているが、ロラン・バルトの「何者かが到来する舞台」という形容を踏まえ、「降臨する美」と読み替えることもできるかもしれない。
 最後にゴシップを一つ紹介すれば、2011年に逝去した際には、生前のトゥオンブリーの脱税容疑を理由に、イタリアの検察当局が資産の差し押さえに動いたほど、その遺産額は途方もないものだった(推定13億ドル)。