国連の決議により、先日2021年2月4日、
第1回「人類きょうだい愛の日」
が記念されました。
これからは毎年2月4日に、「人類のきょうだい愛」が世界中で思い起こされることになります。
当日、Zayed Award for
Human Fraternity (人類きょうだい愛のZayed賞)が2人の受賞者に送られました。グテーレス国連事務総長と息子を殺された母、Latifa
Ibn Zaiaten さんです。
その日の模様と
Latifaさんに関するドキュメンタリーがビデオで配信されています。
使用言語: 英語、アラビア語、スペイン語、フランス語、イタリア語。(字幕はイタリア語)
一部を訳してお届けします。
息子を殺された母、Latifa
Ibn Zaiaten さんの人生についての部分です。
28,20 あたりからです。
(Latifaさん)
息子は1週間の休暇をもらい
月曜日に出発しました。
そして日曜日、
長男から電話がありました。
彼はわたしに言いました。ママ、Imadが死んだ。
打ち拉がれました。
誰にもこのような苦しみを味わって欲しくありません。
まるで内臓が焼け付くようでした。
こう呟きました。「わが神よ」
Imadは死んでなんかいない。
残された子供たちを慰めました。
子供たちはわたしに言いました、「でもImadは・・・」
わたしは「No, 死んでなんかいない」
「Imadはまだ生きている。
そんなの(死んだという知らせは)嘘よ」
(微笑むImadの写真)
わたしはImadの夢を3回見ました。
「ママ、立ち上がって」
「ママを必要としているんだ」
(墓地で: Latifaさん)
わたしは分かりました。
息子がわたしに望んでいるのはこれだと。
彼は抵抗しながら死にました。
だからわたしも強くなければならないのです。
(Latifaさんの友人たち)
わたしはLatifa Ibn Zaiaten さんに会いました。
数年前。
息子さんが殺害されてすぐの頃でした。
Muhamed
Meraに殺されました。
多くの人と同じく、わたしも彼女の苦しみに衝撃を受けました。
それだけでなく、その勇気に。
憎しみを持ち続けるのではなく。
彼女はその反対でした。
周りの人を助けようとしていました。
恐ろしい目にあったのに、
誰もそんな目に合わないように願い、
みんなを助けようとするのです。
たとえば、悲しんでいると
励ましてくれるのです。
打ち拉がれたままにしておかないのです。
いつもひっぱり起こしてくれるのです。
(Latifaさん)
大統領、わたしはあなたの助けが必要です。
この平和のメッセージを伝えるために。
この「共に生きる」というメッセージを。
他者に手を差しのべる、というメッセージ
わたしは自分の傷を乗り越えました。
そして社会に戻ってきました。
若者たちを護るために。
かれらに平和と愛について語りたいのです。
若者たちを護らなければなりません。
よいことばをかけて。
大勢の若者がわたしのことを「第2のお母さん」と呼んでくれます。
責任は両親だけにあるのではありません。
今現在、責任は両親だけにはありません。
責任は両親、学校、国にあります。
この街の市長に。
全員に責任があるのです。
(コメント: Samiaさん他)
彼女が創立した協会は
若者たちを助けることを目的にしています。
Imad協会を通して、(亡くなった)息子を尊ぶためでもあります。
Imad協会や他の協会は差別や不正と闘っています。
わたしたちの手で世界を変える勇気をくれます。
若者のためのImad協会はたくさんの寄付を頂いています。
そしてそれらをカリタス(慈悲)のわざに活用しています。
とりわけ地域で。
(Latifaさん)
ですから若者たちの頭を(よい考えで)いっぱいにすればよいのです。
彼らがふつうに成長できるようにしてください!
(コメント)
世間の人にとってもっとも信じがたく、理解し難いのは、
Latifa Ibn
Zaiaten さんは、
彼女に悲劇をもたらした人々を助けることです。
彼女に息子 Imad Ibn Ziatenを失わせた人たちを。
Latifaはいつもすべての人に微笑みを向けます。
夜空を照らす星です。
必要としている人のため、
これらの若者たちのために、目を、耳を、心を向けています。
(Latifaさん)
困っている若者を見たら誰でも、絶対に助けます!
(コメント)
新しい価値を見出す助けとなりました。
Latifa Ibn
Zaiaten に会うたびに、
何かをまなびます。
まず第一に、耳を傾けることを。
(Latifaさん)
Imad はいつもわたしと一緒です。
いつもここにいます。
神が彼を栄光の内にいさせてくださいますように・・・。
(涙ぐむ)
(字幕)
Latifa は、寛容の心を守り、原理主義と闘うために、人生を捧げました。
暴力と憎しみに打ち勝つために、貧民街、刑務所、モスクなどで日々を過ごしました。