2020年2月3日月曜日

教皇フランシスコ日本訪問を追って    ( 5 ) 



教皇フランシスコ日本訪問を追って    ( 5 )  東京

2019/11/2A

東日本・三重災害被災者との集まり
ベルサール半蔵門
2019
1125日、東京

Meeting with the victims of Triple Disaster【公式】 

高校生の鴨下全生(かもした・まつき)さんのスピーチ
https://www.youtube.com/watch?v=JoCNVJfRDgU  41:20 ~)





親愛なるパパ(教皇)様
僕は福島県いわき市に生まれました。8歳だった時に原発事故が起きて、被爆を逃れるために東京に避難しました。
でも父は、母に僕らを託して福島に戻りました。父は教師で僕らの他にも守るべき生徒たちがいたからです。母は僕と3歳の弟を連れて慣れぬ地を転々としながら避難を続けました。弟は寂しさで布団の中で泣きました。僕は避難先でいじめにも合い、死にたいと思うほどつらい日々が続きました。
やがて父も心と体がぼろぼろになり、仕事を続けられなくなりました。それでも、避難できた僕らはまだ幸せなのだと思います。国は避難住宅の提供さえも打ち切りました。僕は必死に残留しているけれど、多くの人がやむなく汚染した土地に帰って行きました。でも広く東日本いったいに降り注いだ放射性物質は8年経った今も放射線を放っています。
汚染された大地や森が元通りになるには、僕の寿命の何倍もの歳月が必要です。だから、そこで生きていく僕たちに大人たちは汚染も被ばくも、これから起きる可能性のある被害も、隠さず伝える責任があると思います。嘘を付いたまま、認めないまま先に死なないでほしいのです。
原発は国策です。そのため、それを維持したい政府の思惑にそって賠償額や避難区域の線引きが決められ、被災者の間で分断が生じました。傷付いた人同士が、互いに隣人を憎み合うように仕向けられてしまいました。僕たちの苦しみはとても伝えきれません。だからパパさま、どうか共に祈ってください。
僕たちが互いの痛みに気付き、再び隣人を愛せるように。
残酷な現実であっても目を背けない勇気が与えられるように。
力を持つ人たちに悔い改めの勇気が与えられるように。
皆でこの被害を乗り越えていけるように。
そして、僕らの未来から被ばくの脅威をなくすため、世界中の人が動き出せるように。
どうか共に祈ってください。
***********
教皇フランシスコのメッセージ


愛する友人の皆さん。
 皆さんとのこの集いは、わたしの日本訪問中の大切なひとときです。アルゼンチンの音楽で迎えてくださりありがとうございます。とくに敏子さん、徳雲さん、全生さんに感謝します。それぞれのこれまでの歩みをわたしたちと分かち合ってくださり、ありがとうございます。この3名のかた、そして皆さんは、三重災害、つまり地震、津波、原発事故によって言い表せないほどの本当に辛い思いをされた、すべての人を代表しておられます。災害は、岩手県、宮城県、福島県だけでなく、日本全土と全国民に影響を及ぼしました。ご自分のことばと姿で、大勢の人が被った悲しみと痛みを、そして、よりよい未来に広がる希望を伝えてくださり、ありがとうございます。全生さんはご自分の証言を終える際に、わたしに皆さんの祈りに加わってほしいと招いてくださいました。しばらく沈黙の時間を取り、最初のことばとして、18千人にも上る亡くなられたかた、ご遺族、いまだ行方の分からないかたのために祈りましょう。わたしたちを一つにし、希望をもって前を見る勇気を与えてくれる祈りをしましょう。
 地方自治体、諸団体、人々の尽力にも感謝します。皆さんは、災害地域の復興に取り組み、また、現在も仮設住宅に避難して自宅に帰ることができずにいる、5万以上もの人の境遇改善に努めておられます。
 とくに感謝したいのは、敏子さんが的確に指摘されたように、日本だけでなく世界中の多くの人が、災害直後に迅速に動いてくれたことです。祈りと物資や財政援助で、被災者を支えてくれました。そのような行動は、時間が経てばなくなるものや、最初の衝撃が薄れれば衰えていくものであってはなりません。むしろ、長く継続させなければなりません。全生さんの指摘についていえば、被災地の住人の中には、今はもう忘れられてしまったと感じている人もいます。汚染された田畑や森林、放射線の長期的な影響などで、継続的な問題を突きつけられている人も少なくありません。
 この集いが、集まった全員によって、この惨劇を被った被災者のかたがたが引き続き多くの必要な助けを得るための、心あるすべての人に訴える呼びかけとなりますように。
 食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません。生活再建を果たすには最低限必要なものがあり、そのために地域コミュニティの支援と援助を受ける必要があるのです。一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です。敏子さんは津波で家を失いましたが、いのちが助かったことをありがたいと思い、助け合うために団結する人を見て希望をもっていると話してくれました。三重災害から8年、日本は、連帯し、根気強く、粘り強く、不屈さをもって、一致団結できる人々であることを示してきました。完全な復興まで先は長いかもしれません。しかし、助け合い、頼り合うために一致できるこの国の人々の魂をもってすれば、必ず果たすことができます。敏子さんがいわれたように、何もしなければ結果はゼロですが、一歩踏み出せば一歩前に進みます。ですから皆さん、毎日少しずつでも、前に進んでいくよう励まします。連帯と献身に基づく未来を築くための一歩です。だれかのため、皆さんのため、皆さんの子どもや孫のため、そしてこれから生まれてくる次の世代のためです。
 徳雲さんは、わたしたちに影響する別の重要な問題に、どのようにこたえうるかを尋ねられました。ご存じのとおり、戦争、難民、食料、経済格差、環境問題は、切り離して判断したり対処したりはできません。今日、問題を強大なネットワークの一部とみなすことなく、個々別々に扱えると考えるのは大きな間違いです。的確に指摘してくださったように、わたしたちはこの地球の一部であり、環境の一部です。究極的には、すべてが互いに絡み合っているからです。思うに最初の一歩は、天然資源の使用に関して、そしてとくに将来のエネルギー源に関して、勇気ある重大な決断をすることです。無関心と闘う力のある文化を作っていくために、働き、歩むことです。わたしたちにもっとも影響する悪の一つは、無関心の文化です。家族の一人が苦しめば家族全員がともに苦しむという自覚をもてるよう、力を合わせることが急務です。課題と解決を包括的に受け止め、きずなという知恵が培われないかぎり、互いの交わりはかないません。わたしたちは、互いにつながっているのです。
 この意味で特別に思い起こしたいのが、福島第一原子力発電所の事故とその余波です。科学的・医学的な懸念に加えて、社会構造を回復するという、途方もない作業もあります。地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されません。これが意味するのは、わたしの兄弟である日本の司教たちがいみじくも指摘した、原子力の継続的な使用に対する懸念であり、司教たちは原子力発電所の廃止を求めました。
 この時代は、技術の進歩を人間の進歩の尺度にしたいという誘惑を受けています。進歩と発展のこの「技術主義(テクノクラティックパラダイム)」は、人々の生活と社会の仕組みを形成します。そしてそれは、しばしばわたしたちの社会のあらゆる領域に影響を与える還元主義につながります(回勅『ラウダート・シ』101114参照)。したがって、このようなときには、立ち止まり、じっくり考え、振り返ってみることが大切です。わたしたちは何者なのか、そしてできればより批判的に、どのような者になりたいのかを省みるのが大事なのです。わたしたちの後に生まれる人々に、どのような世界を残したいですか。何を遺産としたいですか。お年寄りの知恵と経験が、若い人の熱意とやる気とともに、異なるまなざしを培う助けとなってくれます。いのちという贈り物を尊ぶ助けとなるまなざしです。さらに、ユニークで、多民族、多文化である人類家族として、わたしたちの兄弟姉妹との連帯を培うことも助けてくれるのです。
 わたしたちの共通の家の未来について考えるなら、ただただ利己的な決断は下せないこと、わたしたちには未来の世代に対して大きな責任があることに気づかなければなりません。その意味でわたしたちは、控えめで慎ましい生き方を選択することが求められています。それは、向き合うべき緊急事態に気づく生き方です。敏子さん、徳雲さん、全生さんは、未来のための新たな道を見つける必要をわたしたちに思い出させてくれました。一人ひとりを大切に、そして自然界を大切にする心に基づく道です。この道において「わたしたちは皆、神の道具として、被造界を世話するために、おのおの自身の文化や経験、自発性や才能に応じた協力ができるのです」(同14)。
 愛する兄弟姉妹の皆さん。三重災害後の復興と再建の継続的な仕事においては、多くの手と多くの心を、あたかも一つであるかのように一致させなければなりません。こうして、苦しむ被災者は助けを得て、自分たちが忘れられていないと知るはずです。多くの人が、実際に、確実に、被災者の痛みをともに担っていると、兄弟として助けるために手を差し伸べ続けると知るでしょう。あらためて、大げさにではなく飾らない姿勢で、被災者の重荷を和らげようと尽くしたすべての皆さんを称え、感謝を申し上げます。そのような思いやりが、すべての人が未来に希望と安定と安心を得るための、歩むべき道のりとなりますように。
 ここにお集まりいただきましたことに、あらためて感謝いたします。わたしのために祈ってください。神様があなたと、あなたの愛する人すべてに、知恵と力と平和という祝福を与えてくださいますように。ありがとうございました。


分断の痛み 被害者同士の争いを越えよう

教皇フランシスコの前でのスピーチを終えて。 鴨下全生(まつき)さん

急性胃炎か胃潰瘍で39度の熱が出て、生れてはじめての点滴を受けていました。パパ様に会って緊張したからではないです。謁見は2度目でしたし、パパ様はやさしくて、緊張したけどストレスはありませんでした。ストレスを受けていたのは被災者との集いが終わった直後、パパ様と話して精神的に無防備になっていた時に、会場に来ていた被災者の方から、「さっきのスピーチの、それでも避難できた僕らはまだ幸せなのだと思います、とはどういう意味だ。僕はずっと福島に住んでいる。その俺たちに対して、それはどういう意味だ!」と詰め寄られ、気が動転してうまくこたえられず、そのまま数分間詰め寄られていたことで一気に胃を悪くしてしまいました。
冷静に考えられれば、言うべきはまず「僕の話を聞いてくれてありがとう」。そしてその人を苦しめているものが何なのかを聞くべきでした。山本太郎さんだったらその場で返したんでしょうが、やっぱりまだまだそこはできないのだな、とあらためて感じました。ただ、この話はまさに僕が伝えたかった、福島原発事故で起きた分断が具体化されたものなのです。傷ついた人同士がさらにお互いを傷つけあってしまい、力を消耗してしまう。傷がない人には何でもないことばが、傷ついた人にはとても、すごく刺さってしまう。それを懼れて被害者が被害を口にできなくなってしまい、どんどん内側から被害の風化が進んでしまう。これを何とかしたいのです。
山本太郎さんも分断のことを泣きながら語っています。傷ついた人が、傷ついた人同士で石を投げ合っているのが今の福島です。
原発さえなければなかった分断の痛み。これを乗り越えないと裁判も勝てないし、被害者も救済されず、また原発が動き出して、次の被害が世界のどこかで起こってしまいます。
どうか共に祈ってください。福島だけでなく、誤った政治によって傷を負ったすべての人たちが、痛みを伴う分断を乗り越えられるように。「自己責任」と人を切り捨てることが無いように。そうしたら真の平和に近づくことができると思います。
ありがとうございました。

2020年1月31日金曜日

教皇フランシスコ日本訪問を追って   (4 )


教皇フランシスコ日本訪問を追って   (4 )  広島

2019/11/24D

LIVE】平和のための集い/Meeting for Peace【公式】


【ノーカット】ローマ教皇 広島で核兵器を強く批判(19/11/24)


平和記念公園にて

20191124日、広島


教皇のメッセージ

 「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編1228)。
 あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。
 ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。
 この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。
 わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るためです。とくに、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。
 わたしはつつしんで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。
 確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。それは、わたしがすでに2年前に述べたとおりです。これについて、わたしたちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あのだれもが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。
 平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス――地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。
 真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。その逆に、差の存在を認めることは、いっそうの責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。
 実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965104日)」10)。武力の論理に屈して対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。
 思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。
 だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。
 神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、心から声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編8511-12)。
 主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!
 「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編1228)。


教皇フランシスコ日本訪問を追って   (3 ) 




教皇フランシスコ日本訪問を追って   (3 )  長崎

2019/11/24C


 王であるキリストの祭日のミサ 

長崎県営球場長崎ビックNスタジアム 

    

教皇のメッセージ

「イエスよ、あなたのみ国においでになるときには、わたしを思い出してください」(ルカ2342

 典礼暦最後の主日の今日、イエスとともに十字架につけられ、イエスが王だと気づき、そう宣言した犯罪人の声に、わたしたちも声を合わせます。栄光と勝利には程遠いそのときに、嘲笑と侮辱の声高な叫びの中で、あの盗人は声を上げ、信仰を宣言しました。それは、イエスが聞いた最後のことばであり、御父にご自分をゆだねる前、イエスは最後にいいました。「はっきりいっておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ2343)。盗人の後ろ暗い過去は、一瞬にして新たな意味を得たかのようです。すなわち、主の苦悶にしっかりと寄 り添い、いつでもどこにおいても救いを差し出すという主の生き方を確かめるものとしたのです。カルワリオ、それは無秩序と不正義の場、無力と無理解が相まみえ、罪なき者の死の前で、いつも茶化している者たちの、無関心で自己を正当化する、ささやきと陰口が響く場です。カルワリオ、この語は、この悔い改めた盗人の姿勢によって、全人類にとっての希望という語に変わるのです。苦しむ罪なき人への自分自身を救えというあざけりやわめき声は、決めぜりふにはならず、むしろ、歴史を作るまことの形として、心を動かされるに任せ、いつくしみによって決断する者たちの声を呼び起こすのです。
 今日ここで、わたしたちの信仰と約束を新たにしたいと思います。あの悔い改めた盗人と同じく、わたしたちは 、失敗、罪、限界ばかりの人生をよく分かっています。けれどもそれが、わたしたちの現在と未来を既定し、決定づけるものであってほしくありません。わたしたちは、「自分自身を救ってみろ」という軽々しい無関心の声で、面倒を避ける空気に染まりがちなことを知っています。多くの罪なき者の苦しみを、ともに背負うことの大切さを忘れてしまうことも少なくありません。この国は、人間が手にしうる壊滅的な力を経験した数少ない国の一つです。ですからわたしたちは、悔い改めた盗人と同じように、苦しむ罪なきかた、主イエスを弁護し仕えるために、声を上げ、信仰を表明する瞬間を生きたいのです。主の苦しみに寄り添い、その孤独と放棄を支えたいと思います。そして今一度、救いそのものである、御父がわたしたち皆に届けようとするあのことばを聞きましょう。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。
 救いと確信――。それは、聖パウロ三木と同志殉教者、そしてあなたがたの霊的遺産に刻まれた無数の殉教者、彼らがそのいのちをもって勇猛にあかししてきたものです。わたしたちは彼らの足跡に従い、その一歩一歩を同じように、勇気を携えて歩みたいと思います。十字架上のキリストから与えられ、渡され、約束された愛こそが、あらゆるたぐいの憎しみ、利己心、嘲笑、言い逃れを打ち破るのです。そこに、よい行動や選択を前にして身をすくませる、無意味な悲観主義や、感覚を鈍らせる物的豊かさに、ことごとく勝利する力があります。第二バチカン公会議は、そのことを思い出させてくれました。真理から遠いのは、この世には永遠の都はないといって、来る都を探し求めているつもりで地上での務めをないがしろにし、注意を怠る人です。まさに、告白する同じ信仰で、神に呼ばれた召し出しの崇高さを示し、それが透けて見えるほどにすべきなのです(第2バチカン 公会議『現代世界憲章』43参照)。
 わたしたちの信仰は、生きる者たちの神への信仰なのです。キリストは生きておられ、わたしたちの間で働かれ、わたしたち皆をいのちの充満へと導いておられます。キリストは生きておられ、わたしたちに生きる者であってほしいと願っておられるのです。キリストはわたしたちの希望です(使徒的勧告『キリストは生きている』1参照)。わたしたちは毎日こう祈っています。主よ、み国が来ますように。こう祈りながら、自分の生活と活動が、賛美となるよう願っています。宣教する弟子としての使命が、来るべきものの証言者や使者となることならば、わたしたちは、悪や悪行に身を任せてはいられません。反対にその使命は、神の国のパン種になるよう駆り立てるのです。家庭、職場、社会、どこであれ、置かれた場所でパン種となるよう駆り立てるのです。聖霊が人々の間に希望の風として吹き続けるための、小さな通気口となることです。天の国は、わたしたち皆の共通の目的地です。それは、将来のためだけの目標ではありません。それを請い願い、今日からそれを生きるのです。病気や障害のある人、高齢者や見捨てられた人たち、難民や外国からの労働者、彼らを取り囲んで大抵は黙らせる無関心の脇で、今日それを生きるのです。彼らは皆、わたしたちの王、キリストの生きる秘跡なのです(マタイ2531-46参照)。なぜなら「もしわたしたちが本当にキリストの観想によって出発したのであれば、あのかたがご自分を重ねたいと望んだ人たちの顔に、あのかたの姿を見いださなければならない」(聖ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『新千年期の初めに』49)からです。
 あの日、カルワリオでは、多くの人が口を閉ざしていました。他の大勢は嘲笑し、盗人の声だけがそれに逆らい、苦しむ罪なきかたを擁護できたのです。それは、勇気ある信仰宣言です。わたしたち一人ひとりが決断することです。沈黙か、嘲笑か、あるいは告げ知らせるか。親愛なる兄弟姉妹の皆さん。長崎はその魂に、いやしがたい傷を負っています。その傷は、多くの罪なき者の、筆舌に尽くしがたい苦しみによるしるしです。これまでの戦争によって踏みにじられた犠牲者たちは、さまざまな場所で勃発している第3次世界大戦によって、今日もなお苦しんでいます。今ここで、一つの祈りとして、わたしたちも声を上げましょう。今日、この恐ろしい罪を、身をもって苦しんでいるすべての人のために。そして、あの悔い改めた盗人のように、黙りも嘲笑もせず、むしろ、自ら声を上げ、真理と正義、聖性と恵み、愛と平和のみ国を告げ知らせる者が、もっともっと増えるよう願いましょう。



教皇フランシスコ日本訪問を追って (2 )





2019/11/24 B


日本二十六聖人殉教者への表敬  西坂公園・殉教の記念碑にて

教皇のメッセージ

愛する兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
 わたしはこの瞬間を待ちわびていました。わたしは一巡礼者として祈るため、信仰を確かめるため、また自らのあかしと献身で道を示すこの兄弟たちの信仰に強められるために来ました。歓迎に心から感謝いたします。
 この聖地にいると、はるか昔に殉教したキリスト者の姿と名が浮かんできます。159725日に殉教したパウロ三木と同志殉教者をはじめ、その苦しみと死によってこの地を聖なる地とした、あまたの殉教者です。
 しかしながら、この聖地は死についてよりも、いのちの勝利について語りかけます。聖ヨハネ・パウロ2世はこの地を、殉教者の丘としてだけでなく、まことの真福八端の山と考えました。自己中心、安穏、虚栄から解き放たれ、聖霊に満たされた人々のあかしに触れることができる場です(使徒的勧告『喜びに喜べ』65参照)。ここで、迫害と剣に打ち勝った愛のうちに、福音の光が輝いたからです。
 ここは何よりも復活を告げる場所です。襲いくるあらゆる試練の中でも、最後は死ではなく、いのちに至ると宣言しているからです。わたしたちは死ではなく、完全な神的いのちに向かって呼ばれているのです。彼らは、そのことを告げ知らせたのです。確かにここには、死と殉教の闇があります。ですが同時に、復活の光も告げ知らされています。殉教者の血は、イエス・キリストがすべての人に、わたしたち皆に与えたいと望む、新しいいのちの種となりました。そのあかしは、宣教する弟子として生きるわたしたちの信仰を強め、献身と決意を新たにします。日々黙々と務める働きによる「殉教」を通して、すべてのいのち、とくにもっとも助けを必要としている人を保護し守る文化のために働く弟子として。
 わたしが殉教者にささげられた記念碑の前まで来たのは、このような聖なる人々と会うためです。「地の果て」に生まれた若いイエズス会士の謙虚さに心を重ね、最初の宣教師と日本の殉教者の歴史に、霊感と刷新の深い泉を見いだしたかったのです。すべてをささげた彼の愛を忘れないようにしましょう。記念館に丁重に納められ尊ばれる過去の手柄の輝かしい遺物にとどまるのではなく、その愛が、福音宣教の熱い思いを刷新し絶えることなく燃え立たせる、この地におけるすべての使徒的精神の、生き生きとした記憶と燃える熱意になりますように。今の日本にある教会が、すべての困難と展望を含め、十字架の上から放たれた聖パウロ三木のメッセージに日々耳を傾け、道、真理、いのち(ヨハネ146参照)である福音の喜びと美をすべての人と分かち合うよう招かれていることを感じますように。わたしたちに重くのしかかり、謙遜に、自由に、大胆に、思いやりをもって歩むことを妨げるものから、日々解き放たれますように。
 兄弟姉妹の皆さん。この場所から、世界のさまざまな場所で、信仰ゆえに今日も苦しみ、殉教の苦しみを味わうキリスト者とも心を合わせましょう。21世紀の殉教者たちは、そのあかしをもって、勇気をもって真福八端の道を自分のものとするようわたしたちに求めています。彼らのために、彼らとともに祈りましょう。そして、すべての人に、世界の隅々に至るまで、信教の自由が保障されるよう声を上げましょう。また、宗教の名を使ったすべての不正に対しても声を上げましょう。「人間の行動と人類の運命を誘導する全体支配主義と分断を掲げる政略、度を超えた利益追求システム、憎悪に拍車をかけるイデオロギー」(「人類の兄弟愛に関する共同文書(201924日、アブダビ)」)に対して。
 わたしたちの母、殉教者の元后に、そして自らのいのちをもって主のすばらしさをあかしした聖パウロ三木と同志殉教者たちすべてに願いましょう。彼らの献身が、宣教の喜びを呼び覚まし保つことができるよう、皆さんの国、そして教会全体のために、取り次いでくれますように。

2019年12月4日水曜日



教皇フランシスコ日本訪問を追って (1)

2019/11/24 A

長崎・爆心地公園

雨の降る中、核兵器についてのメッセージ


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愛する兄弟姉妹の皆さん。
 この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。
 人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みに対する最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。
 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。
 ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは神に歯向かうテロ行為です。
 核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して具体性をもって応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。
 今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点でもあるのです。
 カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対する、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、たゆむことなく、迅速に行動し、訴えていきます。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。
 核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の安全保障への脅威に関してわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964124日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967326日)』参照)。
 こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。
 心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。
 ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。
 主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
   憎しみがあるところに愛を、
   いさかいがあるところにゆるしを、
   疑いのあるところに信仰を、
   絶望があるところに希望を、
   闇に光を、
   悲しみのあるところに喜びを もたらすものとしてください。
 記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。
 皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。

映像


  【ノーカット】 ローマ教皇が核兵器廃絶へメッセージ(19/11/24)

23日に来日したローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が24日に被爆地の長崎を訪れ、爆心地から核兵器の廃絶を訴えました。ローマ教皇のメッセージをノーカットでお伝えします。 [テレ朝news

2019年11月29日金曜日

       教皇フランシスコが下記の日程で日本を訪問しました。



教皇フランシスコの日本訪問(20191123日-26日)

プログラム

20191123日(土)
バンコク-東京
09:30
航空機にて東京へ
17:40
東京国際空港(羽田空港)到着
17:40
歓迎式 東京国際空港(羽田空港)にて
18:30
司教との集い ローマ教皇庁大使館にて                              教皇の講話

20191124日(日)
東京-長崎-広島-東京
07:20
航空機にて長崎へ
09:20
長崎空港 到着
10:15
10:45
核兵器に関するメッセージ 長崎爆心地公園にて
日本二十六聖人殉教者への表敬  西坂公園・殉教の記念碑にて   教皇のメッセージ
教皇の挨拶
「お告げの祈り」
長崎大司教館にて 昼食
14:00
ミサ 長崎県営野球場にて                 教皇の説教
16:35
航空機にて広島へ
17:45
広島空港 到着
18:40
平和のための集い   広島平和記念公園にて          教皇のメッセージ
20:25
航空機にて東京へ
21:50
羽田空港 到着

20191125日(月)
東京
10:00
東日本大震災被災者との集い “ベルサール半蔵門”にて    教皇の講話
天皇陛下との御会見  皇居にて
11:45
青年との集い  東京カテドラル聖マリア大聖堂にて     教皇の講話
教皇随行団と共に昼食  ローマ教皇庁大使館にて
16:00
ミサ  東京ドームにて                  教皇の説教
首相との会談  官邸にて
要人および外交団等との集い 官邸にて               教皇の講話

20191126日(火)
東京-ローマ
07:45
イエズス会員とのプライベートなミサ
上智大学クルトゥルハイムの チャペルにて
イエズス会員と共に朝食およびプライベートな集い
イエズス会SJハウスにて
09:40
病気・高齢の司祭を訪問 イエズス会SJハウスにて
10:00
上智大学への訪問                    教皇の講話
11:20
別れの式  東京国際空港(羽田空港)にて
11:35
航空機にてローマ(フィウミチーノ空港)へ
17:15
ローマ(フィウミチーノ空港)到着
 

POPE IN JAPAN 2019【公式】

次回からの投稿でそれぞれの集会のテーマや内容、関連URLを載せたいと思います。