1992年5月23日、17時58分、高速道路に埋められたトリット(高性能爆薬)が遠隔操作で爆発し、マフィアと真正面から戦ってきたファルコーネ判事、妻、3人の護衛官がいのちを失った。
この「遠い昔から予言されていた悲劇」に至る道に目をやるとすれば、少なくとも1986年に遡らなければならない。イタリア史上はじめてとなる、マフィア全体を相手にしたMAXI裁判が始まり、翌年1987年12月16日、当時のマフィア組織を根絶させるに充分な「模範的な」判決が下された。マフィアの19人の親分全員に無期懲役、300人を超えるマフィア組員が有罪となった。
(注:’80年代の「マフィア戦争」では、警官、裁判官、弁護士等、マフィアにとって邪魔になる人々が次々と殺害され、その数は4000人を超えていた)
元親分トンマーゾ・ブッシェッタの改心による供述をもとに、ファルコーネ判事は危険を知りつつも、敵陣の中でただ一人戦うかのような努力でこの裁判のために証拠・証言を積み重ねていった。誹謗中傷もあえて身に受けた。彼は言っていた。「隠れた中央権力(Centri occulti di potere )がわたしを爆弾でぶっ飛ばすだろうな・・・」。
「シチリアの春」と呼ばれ、「市民がわたしたちを熱狂的に応援してくれているようだ」とファルコーネにも言わせた、マフィアに対しての大勝利の後、早くも1988年に、竜の尾はファルコーネを襲った。ファルコーネ判事こそパレルモの「予審局長」に選出されることが望まれていたのに、CSM(最高司法府)は「多数決で」他者(アントニーノ・メーリ)を局長に選んだ。それは、あたかもファルコーネに対する死刑宣告でもあった。
以前から、マフィアと「隠れた中央権力」の間には、公けに口に出来ない共生システムがあるのではないかという疑惑が持たれていた。
「麻薬の売買は形跡を残さないが、金銭の動きは形跡を残す」という確信のもと、スイスでの調査も率先して実施していたファルコーネに対して、当時の法務長官ピッツィッロはこう言ってのけた。「シチリアの経済を破滅に追い込むだろう」。
改心者トンマーゾ・ブッシェッタは予言していた。「まずは彼のイメージを、次にその肉体を破壊するだろう」。まさしくそのシナリオ通り、1989年にはファルコーネを告発する匿名の手紙がたくさん届き、各面からの誹謗中傷は後を絶たなかった。
1989年6月20日、パレルモ郊外の海辺の町ダウラでスイスの司法関係者と会っていたファルコーネに対するダイナマイト暗殺未遂事件が起きた。これにより「隠れた中央権力」はマフィアに「指示する」こともできるようになっていたことが明らかになった。
1992年3月12日、DC(キリスト教民主党)のEU議会議員、首相経験者アンドレオッティ派でマフィアと「隠れた中央権力」のバランスを取っていたとされるサルヴォ・リーマが暗殺された。これは、新しいコーサ・ノストラ(マフィアの別名)からの宣戦布告でもあった。
誰かが、マフィアと隠れた中央権力との密接な関係をファルコーネが見つけ出すのではないかと恐れていた。それが1992年の状態だった。そして1989年に未遂で終わった暗殺を完遂させた。
2009年、「カパーチの虐殺」の司法調査が再開された。
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