小学5年生を終えたら、わたしたちは学校をやめて働かなければなりませんでした。学校に通うなんて贅沢だったのです。日曜日のミサの後には村の農家の女性たちのために家で作った服を見せて回りました。10歳のとき、母はわたしに初めて袖を縫わせてくれました。今でも信じられないのは、わたしたち3人姉妹が村を出て都会に行くと決めた時、両親が反対しなかったことです。駅について、どこへ行こうかまだ決めていなかったので、最初に来た汽車に乗ることにしました。来たのはローマ行の列車でした。ローマでは上流社会の有名人が大勢住んでいる建物の門番の女性が随分助けてくれました(彼女の娘が実家の店で働いていたのです)。夢のような世界が開けました。上流社会の女性たちがわたしたちのところに仮縫いをしに来てくれるようになったのです。タイロン・パワーとリンダ・クリスチャンの結婚式は世紀の結婚式でした。ウェディングドレスは大好評で、1年後にはハリウッドに招かれ、ファッション・ショーに大勢の映画俳優が来てくれました。作品のシンプルさが気に入られたようです。有名人とお友だちになり、中でもオードリー・ヘップバーンはとても気さくで、楽しい人でした。わたしが服を縫っているあいだに料理を作ってくれたりました。ヴィヴィアン・リーは白が大好きで、服だけでなく家の中も真っ白で、夢の世界に生きているようでした。ある日ケネディ大統領夫妻が店のドアを叩きました。扉を開けたら目の前にいたのです。色々な機会のために服を注文してくれました。グレス・ケリーもローマに来たとき、その日に予定されていたイタリア大統領の晩餐会に行くための服がなかったので、わたしたちのところでイブニングドレスを調達しました。
服はいつもピンで(仮縫い)作るのですよ! ピンと針でね。
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