アバドが27歳の若さでスカラ座デビューしたのは1960年。1968年から86年までは音楽監督をつとめた。1993年から18年間も留守をしていた「マイホーム」に戻って来たのは2012年のこと。歓喜したスカラの観衆に迎えられた。以前からスカラ座の音楽監督に再就任してくれるよう依頼を受けていたが、アバドが提示した条件、すなわち報酬は、9万本の樹木をミラノに植えることだった。建築家Enzo Piano(エンツォ・ピアーノ)も賛成し、森の中にカテドラルが立つ光景(Piazza del Duomo)がデザインされたが、最初は喜んでプロジェクトに賛成していたモラッティ市長が、資金不足が発覚して許可を出さず、巨匠の夢ははかなくも終わった。
2014年1月22日水曜日
2014年1月21日火曜日
クラウディオ・アバド 死す
世界的名指揮者Claudio Abbado(クラウディオ・アッバード)が昨日1月20日(月)ボローニャで亡くなった。享年80才。スカラ座(1968-86)とウィーン国立歌劇場の音楽監督(1986-1991)、ベルリンフィルの芸術監督(1989-2002)をつとめた。昨年8月にイタリアの終身上院議員に任命されたが、議員報酬はフィエソレ(フィレンツェ)の音楽院(Scuola di Musica di Fiesole)の奨学金制度にまわしていた。
若い頃からアバドと比較されてきたもう一人のイタリアが生んだ偉大な指揮者リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)は「この数十年の間、世界の舞台でオーケストラ指揮と音楽解釈の歴史を記してきた偉大な音楽家を失い、深い悲しみを感じます」と語った。「彼の死は音楽・芸術界にとって大きな損失となるでしょう」。
2014年1月6日月曜日
アルド・モーロ元首相(赤いルノー4)
1978年5月9日、キリスト教民主党党首アルド・モーロの射殺された遺体がローマのカエターニ通りに駐車されていた赤いルノー4のトランクの中で発見された。犯行は、モーロ党首を拉致したテロ集団「Brigate Rosse/赤い旅団」の仕業とされた。救出されなかった背景には、当時モーロが進めていた共産党との大連立「Governo di solidarietà nazionale/国家連帯政府」構想が大国(米国、ソ連)から懸念され、イタリア政府が逡巡していたという事情もあった。
今日はあの「赤いルノー4」の持ち主フィリッポ・バルトリさんが亡くなった知らせがニュースとなった。
アルド・モーロは現在カトリック教会によって列福手続きが申請されている。
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